
坐禅:初冬の摂心体験(5日間)
初冬の摂心5日間へも参加させていただきました。予想外の気づきに恵まれ心の不思議さを改めて体験する機会となりました。心境を振り返ります。

初冬と向き合う
秋の摂心で目にした青空と山々の鮮やかな景色とは異なり、初冬の僧堂では障子が閉じられ、幻想的な静けさを漂わせていました。今回の摂心は「初冬の寒さ」という、秋の摂心とは異なる自然環境の中で過ごす5日間でした。秋の摂心で得た経験から「今度は、前回より心静かに過ごせるだろう」と考えていましたが、現実は違いました。
身体の反応と気づき
僧堂内にはストーブが2箇所用意されていましたが、曇りの日が多く、坐禅中の静止した姿勢では10分もすると底冷えする寒さが身に沁み始めました。結果的には、ダウンベストなどの重ね着で、何事もなく5日間を過しましたのですが、いつからか経験しなくなっていた「寒さ」は、心身にさまざまな反応を引き起こしました。
初めの2日間は「寒いぞ!」という脳内からのアラートが繰り返され「怖さ」も感じていました。寒さが引き起こす「怖さ」は、身体の反応だけではなく、心の奥深くに潜む不安を引き出しました。それは、普段の快適さに慣れすぎて、居心地の悪さに対する耐性が薄れていたからかもしれません。「寒いぞ!」とずっと聞こえている状態で過ごし慣れてきたせいか、2日を過ぎたあたりからアラートのメッセージは「寒いけど、大丈夫だ」に変わりました。当初は、心は過剰に反応して自ら恐怖心を煽り立てていたのでした。
今振り返ると、「寒さ」という感覚を「いつもと違う温度の世界にいる」という視点で捉え直せたことで、「居心地の悪さ」そのものを過剰に恐れたり拒絶するのではなく、受け入れる柔軟性が育まれていたように思います。この体験は、快適さに頼りすぎず、身体の持つ適応力や耐性力を活かし生活できることを教えてくれました。
心の反応と甦った記憶
寒さによる身体の反応以上に驚いたのは、心の動きでした。坐禅中は「思い浮かぶことはやり過ごす」を念頭に座っていました。「寒いぞ!」という新たな感覚と向き合いながら坐禅を続ける中で、心の奥底に埋もれていた記憶や感情が次々と浮かび上がり、それがまた静かに消えていく体験を繰り返しました。
その中で特に心に浮かんだのは、留学時代の記憶でした。金銭的な余裕がない日々の中で、大学を卒業するという目標に向かいながら、不便さやプレッシャーを抱えつつも夢を追い続けていた自分が浮かびました。
さらに摂心3日目頃には、サンフランシスコ空港を後にした時の記憶が浮かびました。友人や恩師との一時的な別れ、そして「野生動物保護に貢献するため博士課程に進み、必ず戻ってくる」という決意を胸に、飛行機の窓からサンフランシスコ市街を眺めていた自分。(詳細は、「勇気の源」にまとめています)
つながった心
摂心の期間中、「留学時代の心」と「今の心」がふっと繋がったような不思議な感覚を覚えました。その瞬間、当時の私と今の私の心が一つになり、これまでの自分の歩みが、まるで山脈のように壮大で連続した一つの道として浮かび上がったように感じられました。
日本に戻り、馴染めない企業文化の中で消耗し、疲弊してしまった心。その心は、どこかで留学時代の選択を完全に良しとすることを拒んでいたのかもしれません。また、帰国後の時間の流れや経験は切り離されたものとして存在していたようにも感じました。今回の摂心を通じて、その苦しさや痛みもまた、自分自身の一部として静かに受け入れることができたように感じます。
消耗し、疲弊していた「居心地の悪かった時間」。それは、ただ辛いだけの時間ではなく、今の私を支える大切な土台となっていることを教えてくれた気がします。その時間があったからこそ、心に向き合う方法を探し坐禅に辿り着きました。坐禅を始めたことで、今こうして心を静かに受け入れる強さを得られたのだとも思います。
初冬の摂心を終えて
今回の摂心では、苦痛や不便さも日常の一部として受け入れる大切さを学びました。また、過去の自分が抱いていた無限の勇気や前進する力が、さらに強まって戻ってきているように感じます。
自分の心にこんな景色が映るとは想像していませんでした。そして迎えた今年のクリスマスは、これまで以上に自分の信条を明確に感じる時間となりました。世間の華やかなクリスマスの風景を眺めながらも、自分の中で宗教や信仰とどう向き合うのかが、はっきりとした形を持つようになったことに気づきました。この気づきは、過去の辛い日々も感謝と共に受け入れ、手放すきっかけを与えてくれました。

最後に:思い出した挑戦の記憶
留学時代、砂漠でのハイキングに備えて行ったトレーニングは、過酷ながらも心躍る挑戦でした。灼熱の太陽が照りつける中、暑い時間帯に山歩きをしたり、水分摂取量を制限する中で、自分の限界を試すような日々。そんな中で感じたのは、困難を乗り越えるたびに心身が強く進化していく充実感でした。
どちらの経験も、人間の適応力は、意識的な努力と無意識の中での成長によって静かに育まれるものであることを教えてくれたように思います。そして、その力は、新たな可能性を切り拓くための大切な基盤ではないかとを改めて感じています。


感謝
気づくことでこれまで見えなかった景色が鮮明になる――そんな感覚は今も続いています。過去と現在が繋がり、今いる場所がより鮮明になる中で、これからも丁寧に時を過ごしていきたいと心から願っています。そして摂心の奥深さに驚きつつも、その伝統が今も受け継がれていることや坐禅初心者に開放されていることに、ただただ感謝の念が湧き上がります。
