勤続日数6000日
2021年1月17日、楽天に入社してから勤続日数がちょうど6000日になりました。入社日が2004年8月16日なので、およそ16年半。24才だった若者は、なんと40才になりました。
入社した時から「楽天トラベル」に携わっていたので、6000日間大きな異動をすることもなく、デザイナーとしてひとつのサービスと向き合ってきました。
このエントリーでは、6000日間をどんなことをやって、どんな心境で過ごしてきたかを、ただただ振り返ってみます。役立つような話は・・・きっとないと思いますが、ご興味があればお付き合いください。
第1期・不満はないけど向上心もない時代
新卒で入った制作会社をすぐに辞め、1年ほどアルバイトでサイトの更新業務をしたのち、楽天に入社したのが2004年8月のこと。
母はフリーターであった私のこと心配していたので、入社が決まった時は喜んでいました。ただ「楽天」という会社のことは知らず、勤務地が六本木ヒルズだったことから「あなたもヒルズ族ね」とビミョーな勘違いをしていました。ちなみに入社直後にいわゆるプロ野球再編問題があり、連日報道されるワイドショーで楽天の存在を知ることになります。
私の役割は、楽天トラベルの特集ページ(「夏休み旅行特集」みたいなやつです)やキャンペーンページといったLPのデザイン・コーディング、そしてサイトの更新がメインでした。ディレクターと一緒になってコンテンツを作り上げていきました。
制作会社時代は「君はセンスがない」とされデザインはさせてもらませんでしたが、楽天トラベルではデザインもでき、給与や福利厚生などの待遇面も格段に良くなったので、大きな不満はありませんでした。
一方で向上心なんてものはぶっちゃけ全然なく「今持っているスキルと知識で、ほどほどに稼げればいいや♪」と本気で思っていました。
第2期・向上心爆上がりで絶好調だった時代
向上心がないなかでも、無料や数千円程度で参加できる勉強会やセミナーイベントには参加していました。理由は単純で「参加すると勉強した気になれる」から。自らのスキルを伸ばそうとか、新しい知識を吸収しよう!ではなく、参加することが目的になっていました。
そんな私でしたが、ひとつのセミナーイベントに参加したことで意識が変わります。2006年7月に開催された「Web標準の日」というイベントです。コーディングやCSSなど様々なセッションがあるなか、そのなかのアクセシビリティに関するセッションがなぜか刺さりました。
「アクセシビリティってなんだろう?」
これをきっかけにアクセシビリティだけに留まらず、さまざまなWeb制作に関する様々な学習をしていくことになります。私の意識は変わりました。会社に対しても「アクセシビリティのことを考えたほうがいい!」「こういうコンテンツがあったほうがいい!」など上司に提案していくことも増えていきました。
このあたりから私の業務内容もWebデザインから、サイトの機能追加や改善といった今でいうUIデザインにシフトしていきます。「今の楽天トラベルにはどんな機能が必要か?」といったプロダクトマネージャー的な役割も担いながら、自らデザインし、 HTML/CSSのコーディングしてエンジニアに渡す。ABテストをしたり、リリース後の効果検証をしたり。Twitterが出始めたころ、有志で“中の人”をやったりもしました。もう仕事が楽しくて楽しくて仕方がない感じでした。
さらに27才のころには自分のブログを開設し、勉強したことや参加したセミナーイベントの感想などを発信していきました。このときは会社の外の世界(Web制作業界やWebデザイナー業界)で認められたい・知られたいという意識もすごく強かったです。そのとき私の中でひとつの目標ができました。
「20代のうちに雑誌に寄稿するか、セミナーイベントで登壇したい!」
この目標に向かって何をすればいいかは正直わかりませんでしたが、日々ブログだけは更新し続けていきました。そして私が28才のとき「CSS Nite in Ginza, Vol.35 (2009/5/21)」というイベントに登壇。今はもうなくなってしまいましたがFireworksというデザインソフトに関する内容でした。さらに29才のときには「ガレリアCSS (2010/02/24)」というCSSに関する書籍を単独で執筆することになります。いずれも私が書いたブログ記事がきっかけでお話をいただいたご縁でした。
目標も達成し、仕事も充実・・・20代後半の私は、まさに絶好調という感じでした。
第3期・意図せぬ異動でどん底に落ちた時代
しかし30才になる直前、新設されるSEOに関する部署への異動を突然告げられます。まったく意図しない異動宣告でした。検索ワードに基づくLPを量産し、SEO経由の売上を高めることが求められました。業務内容はUIデザインなので変わらないのですが、感覚的には「メインとなる部署から外された」という気持ちでいっぱいでした。
当時の私には、このことをポジティブに捉え直すことができませんでした。もう完璧に不貞腐れていました。衝動的に「辞めます」と言ったこともありましたっけ。そんなとき励ましてくれたり、いろいろ動いてくださる方がいたおかげで、今の私があると思っています。
ちなみに不貞腐れて仕事も必要最低限しかしていなかった私ですが、東日本大震災を機にココロを入れ替えることになります。「日本が大変な時に、私は何を不貞腐れておるのだ」・・・その後はフツーに働き、しばらくして以前の部署に戻していただくことになりました。
あのときポジティブに捉えることができていたらどうなっていたんだろう、と考えることもあります。もちろん過去のことは変わりません。でも今後私の意にそぐわないことが起きたとき、そのことをポジティブに捉え直すことができるのであれば、この経験も私の人生で必要なことだったんだと、今となっては考えることができます。
第4期・事業の成長とともに役割が細分化されていく時代
デザイナーという職種ではありましたが、UI/UXデザインだけではなく、HTML/CSSのコーディング、サービスに必要な機能やプロダクトの改善などを考えるプロダクトマネージャー的な役割、 Twitterの中の人・・・
ホントありとあらゆる役割をやっていました。大げさに言えばフルスタック、悪く言えば「広く浅く」といった感じです。私はこのいろいろな仕事をできている状態に、とても満足し魅力に感じていました。
しかし事業が成長し人員も増えてくると、それぞれの役割を担う専門的な部署が作られていきます。役割が細分化され、より専門性が増していく感じです。これは仕方がないというか、むしろあるべき姿なのだと思います。
SNSはマーケティングの部署が担当し、プロダクトマネージャーの部署が新設され、およそ4年前にはフロントエンドエンジニアの部署も立ち上がり、私がコードを書くことはなくなりました。
「広く浅く」と「狭く深く」、どちらがイイという話は難しく、組織の文化や事業のフェーズにもよりますし、その人の経験度ややりたいことによっても変わってくると思います。ただ個人的には、今まで持っていた武器をどんどん取り上げられていくような感覚はありました。一方で今デザインに特化しているからこそ得られる知識や経験があるのだろうなとも思っています。
第5期・デザインマネージャーとして生きる時代
私が役割がUI/UXデザインに特化される少し前のタイミング、35才になったときに「マネージャー」という肩書きが付きました。実はそれまでにも「リーダー」とか「サブマネージャー」という肩書きはついていたのですが、やはりメンバーを評価したりお給料を決める立場になると、否応無しにも視座が上がるというか、背筋が伸びました。「マジ、変なことはできないな」と。
現在私はデザインマネージャーとして、業務アサイン・進行管理・品質管理・評価・採用・たまにUIデザインをやっています。そして一番大事だと思っていることが、メンバーがやりがいをもって仕事ができ、少しでも成長をしてもらうために何をするべきかを考えることです。そのためにどんなメッセージを伝えるべきか、どんな仕事をおまかせするべきか・・・なんてこと日々考えいます。
日本・韓国・台湾・アメリカ・カナダ・・・多国籍な9名のデザイナーとともに、楽天トラベルが世界に羽ばたくサービスにするべく、日々活動を行っています。
デザインマネージャーというキャリアは、業界的に見てもまだまだ少なく、企業や組織によって役割も大きく変わっている職種だと思います。
「デザイナーはマネージメントをやりたがらない」
という話も聞きます。気持ち、すごくわかります。私もまだまだ手探りですし、マネージメント向いてないなとヘコむときもありますし、Figmaさわっているときに幸せ感じたりすることもあります。
ただ逆に言えば、デザインマネージャーというこの業界内でのマレなキャリアを進めていることは、貴重な経験をさせていただいていると思っています。
楽天に入ってから16年半、私の直属の上司は全員「非デザイナー」でした。今の私の上司もプロダクトマネージャーです。個人的にはデザイナーのマネージャーはデザイナーであったほうがいいと思ってます。ただ・・・少ないですよね、デザインマネージャー。
40才になった私は、デザインマネージャーのヨコのつながりをもっと作っていきたいと思っています。そしてデザイナーのキャリアパスのひとつに「デザインマネージャー」が当たり前のようにあがるように、そして「デザインマネージャー」が業界内にもっと増えるように・・・このような活動をしていけたらなと思っています。