対人関係力-筋を通す-附
己の本質を認める活動「筋を通す」【解説】
古い言葉ですが日本人らしさ
「筋を通す」について書いてみます。
人との触合いで、
あの人の話は「筋が通っている」
とか、彼は
「筋が通らないつまらない話をする」
とか言います。
会話に人としての“筋=心の軸”
が存在しなければ、その場その時の
気分や感情で話をしているように
相手に聞こえてしまい、信用性や
説得力に欠けてしまいます。
“筋”とは、
人間の精神の指標を指し
それはその人が持つ
判断基準=識別判断力です。
人は、日常生活や仕事上で
夫々の立場で判断を迫られ、
自分の判断基準に照らし
合わせ様々な「選択肢」や
「良し悪し」「正誤」「相性」
などを判断しているはずです。
その判断基準の根源は、
道理やモラル(倫理)、
詰り社会人としても、
人としても正しい物事は何か、
という人の持つ心の原理原則
に拠ると思います。
故に、
物事や話しに「筋が通る」
と言うことは単に論理的に
矛盾がないということではなく、
コンプライアンス意識の元、
人として取るべき道(≒倫理観)に
照らし合わせて不都合が生じない、
詰り、頭だけでで軽々しく判断
した答えではなく理(道理・人の道)
に叶っていることを筋が通ると言います。
この筋を意識しない人の多くは、
人としての決断や判断がキチン
と出来ないことがたたあります。
それはどうしてかと言うと、
自分の意識の基準をどこに置くか
を自らが解らない故からです。
これに対して、
経験値や人間力の知識が豊かな人は
自分軸である揺るぎたい“筋”を
備え持ち万般に通じていきます。
それは、“筋”というものが
万人に納得し得るものだからです。
人や物事の正しい判断や決断を
するためには自らの中に確り
指標(軸)がなければなりません。
人間の行動は、
現実や思想と矛盾している事が多く、
どうしてそのような行動に出るのか
自分ですら分からない事があります。
増してや、
その行動を他人が理解する事など、
凡人には中々出来ないことです。
その活動や行動上で矛盾や
言い訳などとは縁のない、
【筋を通して生きること】
について記します。
🔲「筋」とは何か?
私見ですが、
「筋」とは、人や物事・事象に対する
識別判断力、即ち、自らが正しい
と信じている「心の軸」と捉えます。
この「筋」について数々の名言を残している
故稲盛和夫氏は、
「筋」とは、人間の精神の指標を指す
と言っています。
「筋を通す」と言うことは、
廻りに左右されない確りした自分軸を
備え持ち、誰からも受け入れても
貰えず孤立しようが、他者(周り)から
どのように評価・批難されようが、
自らが正しいと思う、志・信念を
一貫して通すこと意識と心身の活動を
持続し継続してすることです。
或は、
時代や流行に逆行していよういまいが、
自分の理念や思想を揺るぎない意思と
信念・志を押し通すことです。
自分自身の心は、
他者には絶対解りませんし、
自分だけにしか解りません。
当然、自分も相手の本心が
どんなことかは解りません。
🔺「メールは受取った旨【拝受】、
内容を確認したことの
【拝見】を相手に伝える」
🔺「自分の発した言葉に責任を持つ」
🔺「一度やると言ったことは必ずやる」
🔺「その場しのぎの言訳や嘘をつかない」
🔺「不義理は決してしない」
🔺「表裏のある言動や態度をしない」
🔺「人の顔を潰すような言動をしない」
🔺「自分が悪いと思ったら、素直に謝る」
🔺「分度を弁えて出来る限りのお礼をする」
🔺「人の立や地位を危うくするような
言動・活動はしない」
🔺「協力してくれた人に、
適時適切なお礼や感謝の意を伝える」
🔺「周囲の人に心配や迷惑の
かかることは決してしない」
🔺「自分自身の揺るぎない指標(軸・信念)
を持って言動する」
🔺「公平無私で判断出来、人と触合える」
🔺「相手のためになることを優先し選択する」
と言ったことがあります。
この「筋」は、
自分軸を大切にする現代人に取って
古くて新しい言葉ではないでしょうか。