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外面と内面は表裏一体?


人の持つ内面(顔)と外面(顔)?


外面(対外・対人)への自分の顔と
内なる(内面≒内心)自分の心は統一出来るの?
(本質・本性・実質・虚偽・虚飾・虚像)

内面=内づら⇔外面=外づら

人の「表」(外)の顔と「裏」(内)の顔


外面と内面が一緒(統一)であると言うことは
感情を持つ人には簡単にできませんし、
過去の体験からも他人の性格や能力は、
外見=外面だけでは容易に判断出来ません。

実体験なしでは何事も本当の本質や心は
解り兼ねますし、何も体験して実際に肌で
感じとらないことなくして物や人の批判や評価は
出来る限りするべきではないと思います。

現代社会は、他者の目思惑を気にし過ぎるばかり、
己の本質を偽り、日本人の心と言われる
侘び寂び」の心を失い、虚飾や虚像と考えられる
自分自身の外見や顔つきに似合わない作り笑顔だったり、
受売りの対人テクニックを優先し、身に着ける傾向があります。

最初は「素敵」に見え、着飾り本質を偽ったとしても
数ヶ月経てば虚飾や虚像の中身は露見してしまうものです。
その結果、大切な人を失ってしまう体験をしましたし
他人の様々な行為の事例を無数に見てきました。

口ではお世辞を言うのに内心では人を馬鹿にしていたり、
外では道徳の大切さを話すけど自分は道徳に従わなかったり、
自分の家は汚いのに他人の家の汚さの文句を言ったり
他人には優しいのに家族には威張っている、
といったことの経験は少なからずあるのではないでしょうか?

人間として表と裏の食い違いがあること事態は当然ですが、
吟味しなでそのギャップを大きくしてしまうのは良くありません。

何かをする時に、言行不一致と言われている、
思っていたり、言っていたりすることと、
実際に行動していることって結構違う場合があります。

また、他人を見る時の基準と自分を見る時の
基準が多少なり変わることも時々あります。
文章を書く時にも、よく認識しないことや
思ってもないことやその時その場の思いつきで
書いていてしまうことも多々あります。

相手によって多少なり外面と内面が
違って感じられるのは人間てある証である
とも考えられ仕方ないことかもしれません。
時と場所、状況に合せて、外面を変えないと
いけない場合もあるので外面を気にしては
いけない、と一概には言い切れません。

自らの心が変な暴走をしないように防ぐためにも、
内面と外面は少なくとも違っているということは
いつも意識しておいた方が良いと思われます。

外面の良い人々に共通すること

外面の良い人の共通点

・・・などがあります。

自らの心が変な暴走をしないように防ぐためにも、
内面と外面は少なくとも違っているということを
意識しておいた方が良いと思われます。
そのために、自分自身の本当の姿と向き合い、
素直にそれを認め受入れることです。

では、どんな自分を知り、どう向き合えば良いのか?
は以下です。

自分と向き合う 

自分と向き合う

といったことがあげられると思います。

【意味】辞書検索
外面(ソトヅラ)。
物の外側の面。がいめん。他人との応対などに見せる顔つきや態度。

内面(ウチヅラ)。
家族や内輪の人に対する顔つきや態度。物の内部。内側。

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