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報恩感謝の活動に表れる人物像

節目、節目に表れる人物像「礼」と「義」

日本人らしさ

日本人らしさとも言われている
「礼」と「」の表現伝達は正月や盆暮れ、
年度の初・末と言った節目の時期に、
その人の本音(本質・心)が表れ易い体験しました。

普段の社会生活上に於いて、
口先や外面で、
「御世話に成り感謝し
 決して忘れません。」
「何らかの機会にお食事でも、
 と思っています。」
「頂いた御恩決して忘れません。」
などとその場しのぎや調子の良い
ことを言っていても、年や年度の
変わりの節目に、受けた恩を忘れ、
何の挨拶や形を示さなかったり、
自分の損得や感情に左右され活動する、
・・・・・など、と言った嫌な気持ち
を味わったことがありませんか?

継続こそ力なり

「受けた恩は石に刻み、
 与えた情けは水に流せ」

と先人から言い伝えられていても
私ども一般人は受けた恩を日々の生活に
追われたり、自己事情などでついつい
忘れてしまい、与えた情けを簡単に
意識の中から流せないように思います。


本当に心にそういった気持ちを
抱いている人は普段何も言わなくても、
節目節目に「礼」「義」を何らかの形
としてキチンと相手に現し、伝えて来ます。

その人達の心に息づいているのは、
支え、生かされている方への「感謝」と
人としての「義≒義理」(人情)です。

これは日本人としても、
また一人の社会人としても大切なことです。

このような日本人の心である「道理」
を欠かすことの無いようにしたいものです。
特に、人の管理や指導的立場の方は、
この意識を大切にして貰いたいと思います。

🌈報恩感謝

人に物を贈って、
 見返りやお礼を期待するな

 人から物を貰ったら
 直ぐにお礼をしなさい

人としての心の在り方を表した言葉です。
物心の付くまで親によく言われました。

施して報を願う
 =見返りやお礼を期待するな

とは自らの行為を誇りそれによって
慢心すること、それは、正しく
人に恩に着せることではないでしょうか。

また、「受けて恩を忘れず」とは、
人から貰った恩を、恩と感じて
それに報いようとする行いであり、
報恩感謝であると言えます。

私達は普段の生活で、
社会人として、人の上に立つ者として、
その人の人物をみる時や御縁を育もう
とする際その人のする報恩感謝の活動に
より人物を判断することが度々あります。

どこまでが
報恩感謝であり、礼を示すことで、
どこからは恩に着せることなのか?

人付き合いの上で、このことの線引きは
歳を重ねる毎に高くなるように思われます。


体験からも、他人に何らかの恩を受け、
それに報いる人として礼を返すことの
活動が適切か否かを判断するのは
凄く難しいことである、
と今の歳に成っても思っています。


例えば、何らかの役立てばと考え
他人に何らかの活動をした際、
その人が恩を感じ感謝と礼を示す人、
感じていても示さない人、
無視する人や当たり前と受止め
何のアクションも起こさない人、
人それぞれで、その心は千人千様です。

しかし、
一人の人間として心の在り方を
備えることはいつの世になっても
変わらないことである、と思います。

喩え他人にどのように言われようが、
自らが人とて正しい道の選択をし
その道に沿い自ら報恩感謝の活動
すべきであると改めて思います。

様々な人の思惑が交差する現代社会に
おいても、素直で謙虚な心を持ち、
周りの人たちから沢山の恩恵を受け、
日々、生かされ、生きていられる
ことにいつも心を配りながら、
報恩感謝の心を忘れずに生きて
人生を過ごして行きたいものです。

この活動を続けることは、有難い御縁、
心豊かな人との出会いに必ず繋がります

参考記事➡報恩感謝・謝徳


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