下谷(したや)神社(台東区東上野)で神輿を担いでみた【神輿担ぎ入門】 2024/05/12開始

今日、2024/05/12に、下谷(したや)神社(台東区東上野)の神輿を担いだ。

山の手は農家が多いので、神社の祭礼は、秋に収穫祭として行われているが、下町では町人の夕涼みを兼ねて夏に開かれる祭がほとんど。

5月中旬の下谷神社に始まり、神田明神、浅草神社、鳥越神社、山王日枝神社、富岡八幡と下町の主要神社の例大祭は、すべて8月までに完了する。

令和6年度 大祭日程
5月10日(金)〜5月12日(日)

日付 内容
5月10日(金) 大祭式典執行
5月11日(土) 各町神輿渡御・連合神輿渡御
5月12日(日) 本社神輿渡御

本社みこし(本社神輿)は神社が所有するみこしで、町みこし(町神輿)は氏子の町会が所有するみこしだ。

町みこしは、「大神輿」とも呼ばれるので、覚えておこう。神社の祭礼の日程表を解読する際に使える知識だ。

最大の見せ場は、「本社みこし」が町に出る「本社渡御」(ほんしゃとぎょ)と、町みこしが神社に出向く「宮入り」だ。

ただ、本社みこし(下谷神社祭礼であれば、町みこしではなく、下谷神社が所有する本社みこし)を、下谷神社に戻すことを「宮入り」と言う場合があるので、注意しよう。

また、「町会」と「睦会」(むつみかい)の関係をおさえておくのが重要だ。
町会は、睦会で構成されている。また、睦会は、別の町会で行われている祭礼に参加することもある。

下谷神社の祭のウリは、「お化けみこし」と言われる大みこしだ。

「本社みこし」は、許可証としての「背中に「睦」の文字が入った地元町会青年部の半天」を着ないと、担ぐことができない。

下谷神社について、簡単に見ておこう。
今回のお祭りは、例大祭と呼ばれるものだ。

5月10日〜12日

例大祭
最も重要とされる祭りで、御祭神や神社に特別の由緒のある日に行われます。

鎮座地
東京都台東区東上野3丁目29番8号

祭神名
大年神(オオトシノカミ)

配祀祭神名
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

祭神と配祀祭神とは何が違うのだろうか?

祭神と配祀神(または配神)についての違いは、主にその地位や役割に関連しています。祭神は神社で主に祀られる神であり、その神社の中心的な存在です。一方で、配祀神(配神)は主祭神と一緒に祀られる他の神々を指し、主祭神に関連する神や、後に加えられた神、または元は主祭神だったが後に配神となった神も含まれます。

明治時代になると、神仏分離の影響で、神社の祭神の体系が整理され、多くの神社で主祭神と配神を区別するようになりました。配神は通常、主祭神に関連性がある神や、他の神社から勧請(移転)された神を指すことが多いです。また、神社によっては、主祭神と同時に祀られたり、時にはその地域の信仰に基づいて新たに配神が加えられることもあります。

神社の構造や信仰の深さを理解するには、祭神と配神の区別を知ることが重要です。それによって、その神社がどのような神々を重んじ、どのような歴史的背景や信仰があるのかが見えてきます。

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御由緒概要

下谷神社は奈良時代に創建され、都内で最も古い「お稲荷様」です。
祭神名、大年神 (オオトシノカミ) は天照皇大神(アマテラスオオミカミ) の御弟、素戔雄尊 (スサノオノミコト) の御子で五穀を主宰し、厚く産業を守護し商売繁盛と家内安全の御利益がある神様です。

日本武尊は第12代景行天皇の皇子であり、「智・仁・勇」を兼ね備え諸国を平定して御恩威を四方に輝かされました。

当神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平2年(西暦730年)に峡田稲置らが、大年神日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ケ丘の地にこの二神をお祀りしたのが創めであると伝えられています。

下谷神社の公式サイト

異なる世界線が数日だけ訪れる、そんな感覚だ。現実世界のレイヤーに、祭り世界のレイヤーが重なっている、そんなニュアンスだ。
気付く人は気付くが、気付かない人は気付かない。

様式美があり、様式美の枠の中で、遊びがある、男臭さがある。
男臭さって、どこから感じるのだろうか?
男らしさ、女らしさとは何が起源なのだろうか?

チームプレーについて考えさせられる。
神輿を担ぐことも貢献だが、周りで声や手拍子で応援することも貢献だ。誰が神輿を担ぎ、誰が神輿を担がないかをマネジメントすることも貢献である。

一人一人の状況を把握する人・機能の不在を発見した。
現実は、「一人一人の状況を把握する人・機能」がいないことが多いのかもしれない。
その場合、声をあげないと、しんどくなる。相手を信じて、声をあげよう。

「はたらく」と「神輿担ぎ」の共通点

神輿という名の中空のものを運ぶことにも面白みを感じる。

事業会社で働くことは、中空のものを運んでいるのに近いのかもしれない。
中空のものではなく、実効性のあるものだと信じながら、いや、実効性のあるものだと(無意識に)信じ込もうとして人は生きている。
そんなことも、神輿担ぎから感じることができる。

「神輿」と「ロランバルトの中空性」

ロランバルトの著作を思い出した。
ロランバルトは、日本にあるモノの中空性に着目した哲学者だ。

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫 ハ 9-1) 文庫 – 1996/11/7
ロラン バルト (著), Roland Barthes (原名), 宗 左近 (翻訳)
5つ星のうち4.3
45個の評価

ロランバルトの中空性の発見については、とても感銘を受けたが、そこからどんな示唆が生まれるのかを、私は読み取れていなかった。

User
ロランバルトが、「日本文化の至る所に中空性がある」と発見したことに、私はとても感銘を受けた。ロランバルトは、日本文化の中空性から、どんな示唆、どんな意味、どんな教訓を見出したのだろうか?

ChatGPT
ロラン・バルトは、日本において「中空性」("emptiness")の概念に非常に魅了されました。彼の著書『帝国の符号』において、バルトは日本の文化や日常生活の中に見られる空白や間の部分に着目しています。彼は、これらの空間がただの無ではなく、意味を生成し、コミュニケーションを豊かにするものとして機能すると解釈しました。

バルトによれば、日本文化における「中空性」は、物事をそのまま提示するのではなく、観察者に想像の余地を与えることで、より深い理解や多様な解釈を促すものです。たとえば、日本の庭園や詩、伝統的な芸術において、完全な表現よりも省略や暗示が重視されます。これにより、観る者や読む者は自身の感情や思考をプロセスに加え、意味を生成することに参加します。

このようにして「中空性」は、物理的な空間だけでなく、言葉や表現においても存在し、文化全体の特性として浮き彫りにされます。バルトは、この視点から日本文化を理解することで、西洋文化の常識や前提に疑問を投げかけ、異文化理解の新たな地平を開いたのです。

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User
ロランバルトは、神輿について、何か言及していますか? Webで調べて

ChatGPT
ロラン・バルトが神輿(みこし)について具体的に言及している記録は見当たりませんでした。バルトは日本文化に関して多くの観察を行っており、「帝国の符号」などの作品で日本の日常や象徴について詳細に分析していますが、神輿に関する直接的なコメントは見つかりませんでした。
バルトのアプローチは一般に、日本の文化や象徴を通じて西洋とは異なる意味構造や符号学的プロセスを探求することに焦点を当てています。もし神輿について何か言及があれば、それは彼の広範な文化分析の中で特定の象徴として解釈される可能性が高いですが、具体的な記述はありませんでした。
バルトの著作や思想に興味がある場合は、彼の広範囲にわたる分析から、日本文化の他の側面についての洞察を得ることができるかもしれません。特に「帝国の符号」は、日本の文化や象徴についての彼の考察を深く理解するのに役立つでしょう。

ChatGPT Plus


昔、車椅子がない時代に、歩けない人たちは、簡単には神社にお参りに行けなかった。年に一回だけ、ポータブル・シュラインが町中を練り歩き、様々な住人にお参りの機会を提供する、そんな意味もある。

神輿を揺らしたり、神輿を天に上げることは、神を招くことを意味している。

「犠牲・苦痛」と「神輿担ぎ」

神輿を担いだときに右肩に残る痕跡は、神輿の行事や仲間との体験を、記憶に留まりやすくさせる効果がある。あえて、人体を損傷させることが、人を信じさせることに効果がある。

ユヴァル・ノア・ハラリの著書に記載がある。

あらゆる儀式のうち、犠牲を払う行為が最も強力だ。なぜなら、この世界のいっさいのもののうちでも、苦しみこそが最も現実味があるからだ。苦しみはけっして無視もできなければ、存在を疑うこともできない。もし人々に何かしらの虚構を本当に信じさせたければ、その虚構のために犠牲を払うようにそそのかすといい。人はいったん物語のために苦しめば、たいていその物語が現実のものだと確信する。

『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』単行本 – 2019/11/19 ページ369
「20 意味 人生は物語ではない」

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考 単行本 – 2019/11/19
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)
5つ星のうち4.4
1,210個の評価

ロマンスの場合にさえも、ロミオやウェルテルのような熱烈な恋をしたがっている人は誰もが、犠牲を払わなければ真の愛などありえないことを知っている。犠牲は、自分が真剣であることを恋人に納得させる方法であるだけではなく、本当に恋をしていることを自分に納得させる方法でもある。あなたは、女性が恋人にダイヤモンドの指輪を持ってくるように頼むのはなぜだと思っているだろうか? その恋人は、いったんそれほど大きな金銭的犠牲を払ったら、それが価値ある目的のためだったと自分に確信させざるをえないからだ。

『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』単行本 – 2019/11/19 ページ370
「20 意味 人生は物語ではない」

声を出し、しかも、集団で同じ発声を行い、同じリズムの拍手をする行為は、今・ここに意識を集中させ、一つのことに没頭させる効果がある。身体が疲れ、さらに神輿の担ぎ手が他におらず交代できない状態になると、今・ここに集中しないと、神輿が地面に落っこちてしまう恐怖が生まれ、さらに今・ここに集中しなくてはいけない。結果的に、瞑想に近い体験になり、瞑想と同じような効果が生まれる。

時間という資源は失われ、中空で虚構の物体をA地点からB地点を経由してA地点に戻すという表層的には無意味な行為を行い、そして、体力を消耗し、肩が破壊される。それらがユヴァル・ノア・ハラリの言う「犠牲」となる。

意識が朦朧とし、精神が落ち込むが、周りから発せられる声、拍子、そして、輝く空を見つめているうちに、沸々と元気とガッツが生まれてくる。

仮に悩みがあったとしても、神輿を担いだ直後は、頭がすっきりし、執着が激減する効果もありそうだ。

いわゆる「フェス」は、何のために行くのだろうか?
興奮体験、没頭体験を手に入れるために行くというのであれば、祭りは、フェスよりもフェス的だ。

神輿を担ぐことを、科学的に解明した論文はないのだろうか?
祭りの文化人類学。
そして、祭りについて、進化心理学の観点から知りたい。

「伝統の継承」という祭りの機能

睦会の元会長がこんな話をしてくれた。

伊勢神宮は生まれるところで、その北西にある出雲大社は死んでしまうところであると。

浅草の三社祭の「三社」とは、三つの神社のことではなく、二人の漁師と一人のお坊さんによって作られた神社という意味だそうだ。つまり、三つの神社が集まって開かれるものではない。

祭りの機能の一つに、「伝統の継承」があると気付かされた。

以上



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