日本の忘れられた戦時下政党制度:太平洋戦争中の真実 2024/03/02


「政党の存在が禁止されているような国」はベトナムやラオス、キューバで、一応野党がありますが実質的に「政党の存在が禁止されているような国」は、中国、北朝鮮、シンガポール、カンボジアなどだと思います。
日本も太平洋戦争中に、政党は存在しませんでした。
また、「政党というものが汚職や利権の温床になっている」んじゃなく、個人の欲望が「汚職や利権の温床になっている」だと思いますね。
それゆえ、日本では他国では考えられない派閥の長(個人)が独自の組織を持ち、資金を管理して(ロンダリングして)大臣登用などの人事に大きな影響力を持ちます。
世界的に見ても異常ですよ、政党ではなく派閥(個人)で資金集めをするのは。

2024年3月1日発行 /高城未来研究所「Future Report」Vol.663/Part2

歴史を知ろうと思い、ChatGPT Plusに以下のプロンプトを打ってみた。

日本も太平洋戦争中に、政党は存在しませんでした、というのは事実でしょうか? ファクトチェックをしてください

以下の回答が出力された。

ChatGPT
太平洋戦争中に日本で政党が存在しなかったというのは事実ではありません。戦前の日本(大日本帝国憲法下)には多数の政党が存在しており、それらは帝国議会に議席を持つなどして活動していました​​。これらの政党には、院内会派や院内交渉団体などの形式で組織されていたものも含まれています​​。
また、Wikipediaには「かつて存在した日本の政党」というカテゴリがあり、1945年8月の第二次世界大戦終結以前に存在していた政党の一覧があります​​。この中には、昭和時代初期に活動していた政党も含まれており、太平洋戦争開始前後も含めて政党が存在していたことが確認できます。
さらに、現代の日本でも政治資金規正法や公職選挙法などによって政党の定義や活動が規定されており、法律上の要件を満たす団体が政党と認められています​​。この法的枠組みは、戦後の日本の政治体制の基礎となっており、戦前から政党制度が存在し、それが戦後も継続していることを示しています。
したがって、太平洋戦争中に日本で政党が存在しなかったというのは誤りであり、実際には多くの政党が存在し、政治活動を行っていました。

1941年に太平洋戦争が始まった。

User
太平洋戦争中に日本で最も大きい政党はどこでしたか?

ChatGPT
太平洋戦争中、日本で最も大きな政党は立憲政友会でした。戦前の帝国議会時代、立憲政友会は1932年(昭和7年)の選挙で301議席を獲得し、国会で最大の議席数を持っていました​​。その後、1936年(昭和11年)の選挙でも立憲民政党が205議席、立憲政友会が175議席を獲得し、これらの政党が政治の主要な力として活動していました​​。1942年(昭和17年)には、大政翼賛会が政党ではないながらも国会に381議席を持っており、これが戦時下の政治体制の特徴でした​​。
この時期、政党ではなく、政府主導の組織や動きが政治の中心となっていたことが伺えます。しかし、立憲政友会や立憲民政党などの既存の政党も、太平洋戦争開戦前後の時期には重要な役割を果たしていました。太平洋戦争中に政党活動が完全に停止されたわけではなく、戦時体制下でもこれらの政党は存在し、一定の活動を行っていたことがわかります。

Gemini Advancedにファクトチェックをしてもらった。ただ、ファクトチェックも怪しく、現段階では使えないように感じた。何が真実かが分からない。やはり、書籍で調べた方が良い。

User
大政翼賛会は、政党ではなく、なんだったのですか? 大政翼賛会の長・リーダーは誰でしたか?

ChatGPT
大政翼賛会は、政党ではなく、1940年(昭和15年)に設立された日本の国家総動員法に基づく政治組織でした。これは、第二次世界大戦中の日本の戦時体制を支えるために政府が推進した政治的・社会的な運動の一環であり、全国民を戦争遂行のために結集させる目的で作られました。大政翼賛会は、当時の日本における全ての政党を解散させ、政治的な一元化を図ることを目的としていました。これにより、政党による政治活動は事実上停止され、政治的な意見の多様性が制限されることとなりました。
大政翼賛会の設立は、日本政府が国民の意識を統一し、戦時下の国家の目標に対する全面的な支持を図るための試みの一つでした。この組織は、政治家、実業家、学者、芸術家など、社会の様々な分野から人々を集め、国民の戦争努力への参加を促進しました。
大政翼賛会のリーダーまたは長は、組織の性質上、時の首相や政府高官が中心となって運営を行っていました。具体的な「リーダー」については、設立時の首相であった近衛文麿が中心的な役割を果たしていたとされています。近衛文麿は、大政翼賛会の設立に深く関与し、その方針や活動に大きな影響を与えました。しかし、大政翼賛会は政府の一部として機能していたため、組織のトップとしては時の政府首脳がその役割を担っていたと言えます。
大政翼賛会は、戦時下の日本で国民を統制し、戦争遂行のための国民結集を目指した特異な組織であり、政党というよりは政府主導の政治運動の一環でした。


1940年(昭和15年)、結社を禁止されていた勤労国民党や立憲養正会、非合法の日本共産党などを除く、保守政党から無産政党まで全ての政党が自発的に解散し「大政翼賛会」に合流した。昭和研究会も大政翼賛会に発展的に解消するという名目によって1940年(昭和15年)11月19日に解散した[12]。


以上


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