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【ネタバレあり】スター・ウォーズEP9感想 -SW以前に物語として駄作-

『スター・ウォーズEpisode 9 スカイウォーカーの夜明け』の感想です。ネタバレありなので、これから観るつもりの人は回れ右です。
他の人の意見に左右されたくないので、ネットの感想はTwitterで少し見ただけで、他には何も見ずに書いています。もしかしたら記憶違いの箇所があるかもしれませんが、ご容赦ください。

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深い哀しみと強い怒りを感じる映画でした。

「シスは決して滅びない。次のアプレンティスをお前だ」
とでも言いたいのでしょうか?観終わった後に暗黒面に堕ちたスターウォーズファンは数知れないのではないかと思います。

ここではスターウォーズEP9のダメだった点をこれでもかと書いていきます。

1.作り手の作りたかったものが何なのかわからない

J・J・エイブラムス監督は本当にこんなものが撮りたかったのでしょうか。

・ストーリーを畳むこと
・ファンサービスを散りばめること
・Disneyの要求に答えること

本作はこの要素を満たしているだけの映画です。

スターウォーズEP1~3は、EP4~6のファンからすると非難轟々の作品でしたが、新しいスターウォーズを作りたいという作り手の強い意志が見える作品でした。スターウォーズであることよりも、SFとして世界の在りようの描き方が美しいものでしたし、現実世界へのメッセージ性をも持っている優れた作品でした。批判も理解できますが私は好きです。

一方でEP9からはそういった作り手の意思がまるで見えません。作品の存在意義がわかりません。

「スターウォーズファンに嫌われたくない!」
「Disneyにも嫌われたくない!」
「とにかく俺はこの世界の誰にも嫌われたくない!」

唯一伝わってきたのはそんな思いだけでした。本当にこんなものが作りたかったんですか?
確かに映像は美しかったですし、黒澤明を感じさせるカットなど、心をくすぐるような場面はいくつもありました。ですがそれだけです。

2.ご都合主義に次ぐご都合主義

一本道のストーリーをなぞるだけのありきたりなプロット。プロット通りに作らなければならないので仕方なく撮った場面の数々。

チューバッカ死亡 → 案の定死んでいませんでした!
C3POの記憶なくなる → 案の定復活しました!

他にもたくさんありますが目につくところはこの2場面だと思います。
なんですか、これは。
この展開自体は別に良いんですよ。たとえばこれが全12話のドラマだったり、長編小説の中であれば説得力を持って観客の感情を揺り動かすことができると思います。

それがEP9の中だと映画時間で10分も経たないうちにやっぱりチューバッカは死んでいなかったということが判明してしまいます。感情の振れ幅が大きすぎて付いていけず、茶番にしか見えませんでした。

そもそもSFというジャンルでは、ある特定の前提条件以外のところで疑問を持つような展開は極力避けるべきです。進んだ技術に、多種多様な種族が共存する銀河系。そしてフォースの存在。この前提に強い説得力を持たせるために、それ以外の要素では偶然性をできるだけ排することが物語としての完成度を高めることに繋がります。

EP8の悪名高い「ハイパースペース特攻」はまさにこのタブーを犯したものです。あれがありなら何でこの場面ではそうしないの?という疑問を観客に想起させてしまいます。
まあこれはEP8の話ですが。

とはいえこのゆるゆる感はスターウォーズの魅力のひとつでもあるので、ここは気にならない人も多いかもしれません。私としては緩くするなら中途半端にせず、もっと緩くしたほうがいいとは思いました。たとえば輸送船がフォースライトニングで爆発して、「チューイ!!」とレイが悲壮感もあらわに叫んだ直後に、真後ろでチューバッカが返事をするとか。

3.自分勝手で一緒に冒険できない主人公のレイ

「レイがいねえ!あいつ、どこに行きやがった!」

そう言って慌てるフィンに共感することはあっても、肝心の主人公であるレイにはまったく共感することができませんでした。観客に誰の立場で映画を見せたかったのかさっぱりわかりません。
レイ?フィン?それとも第三者視点?

物語において、同行者が主人公をいらだたせるように振る舞うことによって、同行者の存在は観客が映画を通じて主人公に共感させるための鍵になり得ます。共感がカタルシスを生むのです。

共感させるための条件は3つあります。
・観客が主人公に対して興味を持つこと
・主人公も同じ思いを持っているに違いないと信じさせること
・憎しみ以外の感情で共感すること
多くのフィクション、あるいはゲームなどではこれらの3つの条件をクリアして、観客が主人公に共感するような体験をデザインしています。

観客は最初映画を客観的に観ます。しかし、映画での体験、それも同行者への感情を通じて、主観的な感情を主人公と一致させることで映画の主人公と気持ちの向きを揃えることができます。これが同行者が大抵の場合面倒くさい存在である理由です。

EP9ではまさにフィンにとってのレイがこの面倒な同行者に当てはまります。ところが、物語終盤になると観客が主観的に共感し始めたフィンは置いてけぼりになり、いつの間にかレイが主人公になってしまいます。そうなると何が起きるかというと、観客も置いてけぼりになってしまいます。

物語のクライマックスは強い感情を想起させ、観客を興奮させるべき場面であるにも関わらず、観客の感情がついていきません。信じられません。これがハリウッドの仕事ですか?学生が作ったファンムービーではなく?

4.最後のレイのセリフ

ラストシーン。
タトゥイーンで自分の名を聞かれたレイを観ながら私は神に祈りを捧げていました。

レイ・パルパティーンって言え。
レイ・パルパティーンって言え。
レイ・パルパティーンって言ってくれ……!!!!

「レイ……」

「レイ・スカイウォーカー」

なんでえええええええええええええ。
そこはどう考えてもレイ・パルパティーンでしょう。EP9にはレイの成長物語としての側面があります。それを真っ向から否定する最低のラストです。これまでの冒険は何だったんですか。
皇帝パルパティーンの孫であるという事実を受け入れて、それでも強く生きていくというラストではなく、パルパティーンの名を捨てて生きていく選択をする意味がわかりません。

まとめ

他にも、
・キスシーンなんでやったの?
・黄色のライトセーバーについて観客にまさかの丸投げ
・フィンは結局何が言いたかったの?
・ローズのジャージャー化
など言いたいことは山ほどありますが、キリがないのでここまでにしておきます。

ジェダイの友情パワーで皇帝を打ち負かすところ、人民の力でファイナルオーダーをやっつけるところ、そもそも辺境領域でどうやってあれだけの艦隊を編成したんや、といった細かいところはいいんです。
そこは許せる範囲です。

ですが、スターウォーズとしての出来以前にSF映画としての質が低すぎることや、作り手の意思が見えない映画であることから本作はまるでダメです。心底つまらない映画でした。楽しみにしていたのでガッカリです。

要所要所で楽しい場面はたくさんありました。最後の過去のジェダイがレイに呼びかけるシーンなんて最高でしたね。メイス・ウィンドゥやアソーカ・タソの声も入っていて興奮しました。
ですが総合評価はゴミです。
これは観終わった直後の私の感想です。2晩経ちましたが、この評価を変えるつもりはありません。

これからEP9を観る人はエチケット袋を持っていくようにしましょう。

わざわざ愚痴を読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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