第10夜 海賊王になった男⁉️ 斧手のモーガン
海賊王に俺はなる!
そんなセリフで有名な漫画ワンピースのキャラにはモデルとなる実在の海賊がいたりします。
例えばルフィの仲間剣士ロロノア・ゾロはカリブ海賊フランソワ・ロロネー、X・ドレークはイギリスの私掠船長フランシス・ドレーク。
他にも沢山いるんですけど、実は数ある海賊の中でも、ルフィーじゃなくても実際の海賊王にかなり近づいた人物もいたりするんですね。
それは斧手のモーガンの元ネタとなったカリブの海賊、ヘンリー・モーガン。
特にワンピースの実写版では最初の敵役として結構重要な役どころでしたよね。
今日は虚実入り乱れたカリブの海賊たちの中で、実際に海賊王になった男の物語なんかしてみましょうか。
☆ 海賊は実は傭兵請負業者だった⁉️ ☆
さてヘンリー・モーガンは名前の通りイングランドの人。
・・・なんですが、貧しい家の出身で、15歳の時何故かはるばるカリブ海のイギリス領バルバトスにわたり年季奉公することになりました。
しかし、何があったのかすぐにジャマイカに脱走。
なんだかんだあってその地の海賊の一味になったんだそうです。
ところで私たちは海賊といったら海の山賊みたいなアウトローを想像しますよね。
ただナイフ一丁と身一つあればできる山賊と違って、船はもちろん、大砲やら水、食料、砲弾など各種補給を賄っていかなければいけない海賊はフリーランスでやってくのはよくよく考えたら無理な話。
実際の海賊は国家と請負契約をした、さながら海の傭兵みたいな職業だったんです。
さながらワンピースでいえば王下七武海みたいな感じかしら。
で、なんでこんな傭兵業者がいるかといえば、正規軍がまともに戦闘行為をすれば国同士の戦争になっちゃいますけど、それが海賊なら思いっきり敵対国を攻撃しても、表向きは知らぬ存ぜぬで通せるからなんですね。
そんなわけで、裏の汚れ仕事とはいえ一応国の請負業務。
海賊にもちゃんと国家が発行した免許が必要でして、特にイギリスとかスペインなどのヨーロッパ諸国からライセンスを受けた正規業者を私掠船なんていったりします。
特にカリブ海はスペインをはじめイギリス、フランス、オランダの勢力が角を合わせて勢力を競っていた場所で、その海賊はバッカニアと呼ばれていました。
このバッカニアこそが、いわゆるカリブの海賊ってやつなんです。
☆ 海賊王に俺はなる‼️海賊モーガンの活躍 ☆
さて話をモーガンに戻すと、どうもこの男は結構この職に向いていたらしく、海賊船の下積みから初めてめきめき出世。
僅かに20歳にして私掠船のライセンスを獲得し見事に私掠船船長として独り立ちすることになりました。
そしてここからモーガンの海賊王伝説が幕を開けるのです。
モーガンが一躍名をはせたのは、ニカラグアの街グラナダの襲撃です。
当時この地はイギリスの敵対国スペインの領土で、当時中米におけるスペインの一大拠点の一つでした。
モーガンはこの街の繁栄ぶりを聴き、大胆にもその2週間かけてサン・ファン川をボートで遡上して、海ではなく陸地側からグラナダに奇襲をかけたのです。
まさか陸から海賊が来るとは思わなかったグラナダの守備隊は瞬く間に蹴散らされ、モーガンはなんと50万ポンドもの財宝を手にしました。
さすがは未来の海賊王、この鮮やかな一戦でイギリスの私掠船業者の中でも一目置かれる存在となったのでした。
その後スペインの縄張りであるキューバあたりを荒らしまわっていたモーガンですが、32歳の時さらに大胆不敵な目標に狙いをつけます。
それはスペインの銀の輸出港で、新大陸からの銀を満載した船団が寄港する重要都市ポルト・ベロ。
しかしなんといっても新大陸の銀はスペインの生命線です。
当然スペイン軍の防備も固く、強固な要塞を備えた難攻不落の街だと思われていたのです。
しかしモーガンは不可能を可能にしました。
450人の海賊を率いたモーガンは、ポルト・ベロに大得意の奇襲攻撃を仕掛け、なんとこれを陥落させることに成功したのです。
海賊達は2週間近くこの街を占領し、この街の膨大な金銀財宝を奪って悠々と引き上げていったのでした。
この暴挙にスペインは激怒したのなんのって。
モーガンの首に多額の懸賞金を賭け、カリブで一番の賞金首となった彼は、執拗にスペイン艦隊に追われる立場となったのでした。
それでも神出鬼没なモーガンをなかなかとらえられなったスペインですが、追っかけっこを繰り返した挙句、遂に作戦を変え、罠を張って待ち伏せすることにしました。
その場所はベネズエラのマラカイボ。
モーガンは守備の薄くなったこの場所を襲撃、略奪したのですが、これはスペインの張った罠で、待ち構えていたスペイン艦隊にモーガンは包囲されてしまいます。
しかしモーガンは機転を効かせて爆薬を積んだ船をスペイン艦隊に突っ込ませ、混乱に乗じて脱出することに成功したのでした。
☆ 海賊王モーガンの栄光と末路 ☆
そしてモーガンが35歳になった1671年。
ヘンリー・モーガンは人生最大とも言える大勝負にでます。
目標はなんとスペイン領パナマの首都であるパナマ・ピエホ。
植民地とは言え、首都攻略という大作戦ですからその兵力も相当なもので、モーガンにはなんと40隻の海賊船と2000人の部下が従っていたそうです。
まさにこれぞ海賊王ですよね。
このパナマ襲撃の戦果は海賊によるものとしては史上最大のものでした。
その凄まじさは灰塵と化したピエホが放棄され、首都は現在のパナマシティに移されたという事実でもわかります。
この襲撃でモーガンが略奪した財宝は実に銀貨75万枚に及んだそうです。
ただ流石にこれはやりすぎだったようで、スペインの猛抗議に知らぬ存ぜぬを繰り返していたイギリスもとうとうシラを切りとおせなくなります。
形だけでも、ということで、仕方なくイギリスは、モーガンを本国に送還し裁判に掛けることにしました。
ただスペインを快く思っていなかった当時のイギリス人はモーガンの行動に拍手喝采。
なんと罪は問われることがなかったばかりか、逆にナイトの地位を与えられて政府の役職に就き、何と最後はジャマイカ代理総督にまで昇進することになったんですね。
しかし絶頂期は同時に没落の始まり。
モーガンの海賊王伝説もここまででした。
所詮海賊に政府の役職は無理というもので、裏で元部下の海賊行為に目を瞑るかわりに、膨大な賄賂を受け取っているのがバレて、結局代理総督を解任されてしまいます。
しかも政府の役職についたことで、昔の部下からも裏切り者だと白い目で見られるようになり、晩年は奴隷農場主として膨大な富を持ちつつも、私生活は酒浸りの侘しい余生を送ったそうです。
なんとも寂しい海賊王の末路ですが、死の直前にその名誉は回復され、なんだかんだで英雄として植民地葬に付され、ついでにかつての海賊の部下達に恩赦が行われることになりました。
彼が埋葬されたのはモーガンが統治し海賊の都とも謳われたポートロイヤルの街。
その当時は世界で最も悪徳の都なんて言われていたみたいですけど、その悪行の報いなのかなんなのか、彼が亡くなった4年後、1692年に大地震が街を襲い、なんと彼の墓もろとも街は海の下に沈んでしまったのです。
かくて、かつての海賊王は、その名に相応しく、今も海のどこかで眠っているんですね。
というあたりで今日のお話はおしまい。
ではまた第11夜でお会いしましょう。