第128夜 現代の鬼子! イスラム国の興亡史(Part3 イスラム国の黄昏)
コバニでイスラム国が敗北したことは、イスラム国と戦う諸国を大いに勢いづかせました。
各地でイスラム国はズルズルと後退を続け、イスラム国恐るに足らずという楽観論も目立ち始めます。
こうした中イラクでは初の大規模な反撃作戦が立案されることになりました。
しかし実際にはまだイスラム国には侮れない力が残されていたのです。
☆ イラク軍の反撃!ティクリート奪還☆
2015年3月2日、イラク軍は、故フセイン大統領の出身地であり、前年の6月以来イスラム国に占領されていたティクリートの奪還作戦を開始しました。
イスラム国に押されっぱなしだったイラク軍初の大規模な反撃作戦です。
約3万のイラク軍に対し、町を守るイスラム国軍は僅かに1000人余り。
しかしイスラム国側の守りも固く、何より正規軍とシーア派民兵の連携が全く取れずイラク軍は苦戦を続けます。
しかしバイジで奮戦した特殊部隊、通称黄金旅団が投入されたことで、約1ヶ月の攻防の末、辛うじてイラク軍はティクリートを奪還することができたのでした。
☆ イスラム国の逆襲☆
イラク軍がティクリートを奪い返したことはイスラム国をめぐる見方に大きな変化をもたらしました。
イスラム国にはもう戦力が残っていない、戦争はもうまもなく終わるという楽観論が主流になるようになったのですね。
しかしそんな中の2015年5月17日、世界を驚愕させる出来事が起こります。
バクダットの西100キロにあるアンバール県の県都ラマディが奇襲を受け陥落してしまったのです。
当時ラマディには2000人以上の重武装の守備隊が駐留しており、それに対してイスラム国の部隊はたったの150人でした。
ところがイスラム国が接近するとイラク軍は100両もの戦車や装甲車など多数の重火器を捨てて逃走し、イスラム国は空っぽになったラマディを占領したのでした。
そうです。
かつてモスルやティクリートで起こったことが再びラマディで起こったんですね。
更にラマディ陥落の3日後、今度はパルミラ遺跡で有名なシリアのタドムルが陥落し再び世界を驚かせます。
前に述べたようにアサド政権は内戦の為軍の主力部隊を西部に集中させており、元々東部は手薄な地域でした。
そこを守っていたのは、イラクから来たシーア派の民兵やイラン革命防衛隊だったのですが、彼らがティクリート奪還の為にイラクに戻っている空きをイスラム国に突かれたのです。
パルミラの陥落によって、アサド政権は東部の広大な砂漠地帯と周辺の油田を一気に失うことになり、全土の半分近くがイスラム国の占領下となってしまったのでした。
ラマディとパルミラの陥落は、人々にイスラム国の戦力が依然として侮りがたいものであることを印象ずけました。
しかしこうした戦局を打開するゲームチェンジャーが出現します。
ロシアが対イスラム国戦争に参戦したのです。
☆ ゲームチェンジャー ロシア参戦☆
実はシリアの地中海沿いの港町タルトゥースには旧ソ連時代の条約によりロシア軍が駐屯していました。
ところがこの時期シリアの内戦でアサド政権が不利になり、ロシアはその崩壊を回避する為、イスラム国の討伐を口実にしてシリア内戦に介入したのです。
2015年9月30日に始まったロシア軍の空爆は、かつてないほど激しいものでした。
その数は最初の1年間で1万3000回にも及び、1日5回目程度の有志連合の爆撃に比べ30回~60回という桁違に激しいものでした。
タルトゥース基地だけでなくロシア本土からの長距離戦略爆撃機、地中海と黒海に展開する艦隊からは巡航ミサイルが発射されました。
当然本当のターゲットはシリアの反政府軍で、ISは副次的な目標でしかなかったのですが、それでも勢いづいたシリア政府軍は11日10日クウェイリス空軍基地をISから奪い返し、対イスラム国の戦いで初めての勝利を手にします。
次いで12月9日中部の要衝ホムス全域を掌握。
又ラタキア県、アレッポ県でもイスラム国や反政府軍を大きく押し返します。
ロシアの参戦はあらゆる意味で戦力バランスを大きく変化させるゲームチェンジャーだったのです。
☆ イスラム国の黄昏☆
12月29日イラクでも政府軍が攻勢に出ました。
5月の反撃で奪われていたラマディをイスラム国から奪い返したのです。
ティクリートから始まった一連のイラク軍の攻勢によりイスラム国はイラクにおける占領地の40%以上を失いました。
それだけではありません。
2016年3月にはイスラム国のNo.3ハジ・イマム財務相が空爆で死亡、更に7月にはバグダディに次ぐNo.2で、事実上の最高指揮官だったアブ・ウマル・シシャニ戦争相も戦死し、イスラム国の人的資源の欠乏も表面化するようになったのです。
こうしてイスラム国が急激に衰える中、2016年3月23日にはシリア軍によってパルミラが、6月26日にはイスラム国が支配下に置いた最初の主要都市ファルージャをイラク軍が奪い返します。
また同じ頃シリア北部の要衝マンビジもクルド軍の手に落ちたことで、いよいよイスラム国の首都ラッカさえも危険な状態になってしまったのです。
さて、こうなると今まで反イスラム国で一本化されていた各国の利害が表面化し始めます。イスラム国の衰亡ぶりが明白になるにつれ、世界の関心は徐々にイスラム国亡き後の勢力争いに向い始めていったのです。
☆ アスタナ枢軸成る☆
2016年8月9日トルコのエルドアン大統領が突然ロシアを訪問し、プーチン大統領と首脳会談を行ったことは、各国に大きなショックを与えました。
というのはアサド政権を支えるロシアと、その打倒を狙うトルコは本来的に仇敵とも言える立ち位置であり、一発触発の緊張関係が続いていたからです。
しかしトルコにとってそれ以上に許せなかったのは、再三のトルコの抗議にもかかわらずアメリカがクルド人への支援を辞めなかったことです。
要するにその意趣返しもあって、トルコはロシアと手を組んでアメリカ抜きでシリアの戦後を決めようとしたんですね。
12月27日、ロシア、トルコ、イランの仲介の下、シリア全土に渡る停戦が発効し、翌年から同じ上海協力機構の加盟国であるカザフスタンの首都アスタナで和平会議が開催されることになります。
シリアの主要反政府組織31のうち、停戦を受託したのは27、そして実際にアスタナ和平会議に出席したのは14。
ただしイスラム国は勿論、最も有力な反政府組織であるファトフ・シャーム戦線やクルド人武装組織も対象外とされました。
ともあれ、アメリカ抜きで、アスタナ枢軸ともいうべき3国が戦後のシリアを決定する構図が固まったことで、対イスラム国戦争はいよいよ最終局面へ向かって動き出すことになったのです。
Part4に続く