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起業と涙。初めて親に認められた日

もしも大学に進学できていなかったら、高校を卒業後はすぐに家を出て就職していたと思う。

それほど実家から離れたいと思っていた。

* * *

両親とは、はっきり言って仲が良くなかった。

僕は中学・高校はハンドボール漬けの毎日に加えて、ややヤンキーかぶれみたいな生活を送っていた。

そんな僕が両親と関係がいいはずもなく、いつでも、
「私」VS「私の行動に理解出来ない両親」
となり、当時はかなり距離があったように思う。

父親も母親もともに職業が先生だったのだから、それも無理はない。

僕が何かをしでかずたびに、親は何度となく学校に呼びだされていた。

「自己責任でありたい」
そう思って自分で考えて行動することが多かったのだが、現実はそれとは逆だった。
中学時代は特に自己責任で済ます事ができない状況にあり、嫌で嫌で仕方がなかったのをよく覚えている。

* * *

父親との思い出は、喧嘩していたことくらいだ。

僕からすればそこまで悪いことではないものが、ド真面目な両親からすると十分に悪いとみなされることがあまりに多かった。
父親に何度ボッコボコにされたかわからない。

僕とは真逆に真面目に育った姉は、僕が殴られるのを横で数えていた。
最高記録が23発だったことは、今でも忘れていない(笑)

母親との思い出も、どうだろう…。

当時はとにかく、両親に言われていることの理解に苦しんだ。

親として僕に言っているのか、
それとも、先生という立場から世間体を気にして言っているのか。

その分別が、僕にはよくわからなかった。

* * *

ただ、今になってわかる唯一のことは、「今の自分をつくっているのは両親だ」ということ。
間違いなく、両親の影響を深く受けているということだ。

僕がなにかやらかした時には、「ちょっとあんたこっち来なさい」と、母親は無理やり学校を休んでは、山に連れていかれていた。
自然の中を歩きながら、「あんた何を考えてんの」とよく聞かれた。

その時はあまりしゃべらなかったけれど、言葉じゃなくて行動で何か伝えようとしてくれていたように思う。

そういえば、「人と比較をして生きる事ほど意味が無いことはない」と教えてくれたのも母だった。
今の自分の形成をする上で、「自分らしさ」を形作る重要な言葉になっている。(大人になってそれを母に伝えたら、本人は何も覚えていなかったのだけれど)

これまで道を踏み外しそうになっても、根本の軸まで逸れずにいられたのは、そうやって両親がいてくれたからこそかもしれない。

* * *

両親と仲良くなれたのは、家を出てからだ。

実家から遠く離れて一人暮らしをして、毎月仕送りをしてもらって学生生活を送った。

飯をずっと食うのって結構大変だったんだなとか、
洗濯物も毎日大変だなとか。
日々の生活の中で、両親のありがたみを感じたのが大きかった。

その一方で、ずっと両親に認められたいと思い続けていた。

ハンドボールもそうだし、仕事もそう。
「成長したい」という思いは一番にあるものの、その成長をちゃんと「認めてもらいたい」というのも間違いなくモチベーションのひとつになっていた。

進路だけでなく、就職や転職も、一度も相談したことはない。
信用されていないと思っていたし、自分で責任を取りたいと思っていたから、いつも事後報告だった。

* * *

認められる日は、ある日突然にやってきた。

それは38歳くらいの時。
現在の会社、プロフィッツを立ち上げた時だ。

いつも通りに、「自分で会社をやることにした」と電話で事後報告した。

電話の向こう側の親父からの返答は、
「もうお前のことは信用してるから、好きにやれ」
だった。

泣けた。
それはそれは、嬉しかった。

お金をちゃんと稼げるようになった時から今まで、父親に仕送りを続けている。

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