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リーマンショックと30億円の支払いをゼロにするミッション

勉強の思い出が残る国内不動産運営会社には、約4年間勤務した。

僕は30歳を迎え、US系不動産投資会社にいた。

転職せずに一度留学することを考えていたのだが、「そこまでして英語を学ぶ気概があるなら、働きながら英語を勉強すればいい」と誘っていただき、その会社に入社した。

社名に「不動産投資顧問」と付くくらいなので、投資専門の会社だった。

そこに入社して、僕の中の不動産という世界に、大きな変化が訪れることになる。


これまで僕がいた2社では、不動産の「今」を見ていた。
プロパティマネジメントという観点で、
「この建物をどうするか?」
「今すでにある不動産を、プラスにするためには何ができるか?」を考えてきた。

3社目となったUS系不動産投資会社では、不動産の「未来」を見ることになった。
投資という観点からすると、プロパティマネジメントは、未来を予見するための小さなパートにすぎなかったのだ。

投資をするためには、数字を活用してこの先、つまり未来を読まなくてはならない。
その過程で、物の見方・視点が変わり、時間軸ができたことで不動産というものにはじめて面白さを見い出していった。


面白かったのは、仕事内容だけではない。
外資系だったので、日本人とはタイプの違う外国籍の人がたくさんいたし、物事の決まり方やスピードも違っていた。
日本人であっても、今まで会ってきた方とはキャラクターが異なる人が多かった。

日本の会社では数々のミーティングを経て1ヶ月かけて決まっていったものが、その会社では海外から重役がやってきてミーティングを行い、その場で瞬時に物事が決まっていった。

30歳という節目を迎え、不動産業界に腰を据える決断を自分の中で密かにしていたことも、仕事の面白みと関係しているかもしれない。


さて、そのUS系不動産投資会社での最も印象的な仕事は、リーマンショック後のファンドの不良債権処理である。

リーマンショックにより、
トータル190億円程のプロジェクトで、約50億円のロス。
ビルの工事費約30億円を、ゼネコンへ支払えない。
100億円のローンのうち、回収できるのは55億円のみ。

こんな状況を、裁判に持ち込まずに解決するというミッションが僕には与えられた。


会社として、投資家のことを第一に考えたベストな処理を行っていくのだが、日本企業ではなかなか踏み出さない一手や決断が多くあり、カルチャーショックを味わった。

ゼネコンとの一件では、「相手会社からどんなに偉い人が出てきても、こちらとしては絶対に担当の自分以上の上役は出さない」という気概で動き、最後まで遂行した。
結果的には無事に終止符を打つことができたのだが、解決まで一年半もの時間を要した。

プレッシャーとストレスにより、その過程で一度倒れることも経験した。


今まで経験した中で、一番チャレンジングな仕事だった。
答えが無い仕事に日々挑戦したのもこの時期だった。
でも、なぜか後ろ向きな仕事に溢れていたこの時が、一番成長した時期だと振り返って思う。


今でも、当時のゼネコンの副社長とは、連絡を取り合う仲である。

次回につづく。

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