都会に出て味わった恥ずかしさと、20年経って超えられた絆
有り難いことに、ハンドボール推薦で東京の大学に進学することができた。
このタイミングで、僕の世界は大きく変わったと思っている。
僕が育った九州の片田舎は、本当に狭い世界だった。
東京に出てくるまでは、その世界の中で、勝ち負けを争って生きていた。
理由はなんであれ、
目立っていれば「あの子すごいね!」とみんなの注目のまとになる。
反対に、それが崩れた瞬間から「あの子はダメだね」なんて噂が広がる。
そんな、小さな小さな世界だった。
だから、失敗した時は他に逃げ場がなくなってしまう世界でもあった。
その上、小さい時から両親と折り合いがつかないことも多く、決して居心地がいいとは言えなかった。
正直、その世界からずっと離れたいと思っていた。
そんな思いもあって上京した。
* * *
大学で東京に出てきたことで、世界は一気に広がった。
それと同時に、自分も変化した。
たぶん、これが僕の人生最初のターニングポイントだ。
当たり前だが、東京の大学には、いろんな地域からさまざまな人が集まっていた。
人間的にも素晴らしくて、勉強ができる人がこんなにもいっぱいいたんだと、はじめて体感したタイミングだった。
それに、育つ地域が違えば、環境もさまざまだ。
みんながスポーツの勝負の世界だけで生きてきたわけじゃない。
僕が持っている“もの差し”には、「試合に勝つか、負けるか」しかなかった。
でもそうじゃない世界がたくさんあった。
いろんな人を知って受け入れていくという行為は、同時に、自分について考えるということでもあった。
自分は、一体どういう人間なんだろうか…
自分が大事にするものは、一体なんだろうか…
これが初めて、自分に向き合った時だと思う。
* * *
人や自分と対峙することで、僕は今までの自分を恥じた。
なぜなら、中学でも高校生でも、一緒に頑張ってきたチームメイト「一人ひとり」をまったく見てこなかったから。
見ようとすらしてこなかったから。
大学に出てようやく、人にはそれぞれのバックグラウンドがあり、その背景によって考え方が異なることも知った。
* * *
自分が変わったことで、友人関係も変化した。
大学時代に出会った友人は、今もすごく仲がいい。
彼らは、たぶん一生の友達だと思う。
その一方で、地元の友達とは打ち解けるのに20年も要してしまった。
昨年の8月。
仕事で福岡に帰った際、高校時代の友人が経営する割烹居酒屋に遊びに行った。
嬉しいことに、何人か共通の友人が、そのお店に集まってくれた。
昔話に花が咲いた。
楽しい席だった。
友人の一人がめちゃくちゃ酔っぱらいながら、こんなことを言ってくれた。
「お前、当時は本当に怖かったもんね」
「もうちょい仲良くできたのにね」
と。
高校を卒業してはじめて、そんな話ができた。
いままで何度か会っていたが、そんな話は一度もしたことがなかった。
「ごめんな」
そう言って、20年以上経ったいま、やっと向き合えた気がした。
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