また、ここで飲みましょう!!ビバ・オハラ☆ブレイク
この乾杯には特別な思い出が僕の中に込められている。
ちょうど、1年前の夏に亡くなった祖父と最後に会う事になった。そして、祖母も認知症が進み、今は千葉のグループホームに入居した(コロナの為に会いに行けない…)。
乾杯した所は福島の猪苗代湖。オハラ☆ブレイクという様々なアーティストが参加し、朝からお酒を飲んだり、日光浴をしながら一日をゆっくりと過ごすのだ。詳しく知りたい人は下記から
オハラ☆ブレイクに参加できた事は奇跡的だった。
福島に帰った理由は、父方の祖父と祖母に会いに行く為だった。祖母の認知症が進んでいるので、どのくらいなのか自分が介護福祉士として様子を見る事と、純粋に祖父と祖母に会いに行きたかったからだ。
祖母の認知症は進んでいたが、昔の祖母の優しさは変わらず色々と忘れてしまう事があったが、沢山お話できた。
祖母の入浴が大変という事で、私は祖母とお風呂に入った。入ったと言っても、髪を洗い背中を流す程度だ。
祖母は、私に背中を流して貰えるなんて思わなかった。
という事は覚えている。
YouTubeを始めたばっかだったが、記録として取ったのが、再生回数は6万回を超えた。タイトルがキャッチだったのか分からないが。もし興味ありましたら見てみてください。チャンネル登録も宜しくお願いします。
祖母と祖父に会えたので、次の日に私は東京に戻る予定だったが、一本の電話を友達に入れた。ある事を相談しようとしてたのだ。
すると、友人は人が一杯いる部屋で電話していたのを、テレビ電話で話すと知っている友達が何人かいたのだ。
友人が、
「福島の猪苗代にいる」
といったので、
「今、俺も福島のばあちゃんの家にいるんだよ」
「お前も福島いるなら来いよ」
と言われたので親父と東京から福島まで車で来ていたので、事情を伝え親父に送ってくれないかと頼んだら、オッケーを貰ったので、行く事になった。
次の日、親父に猪苗代駅まで車で送ってもらった。祖父母はいわき市に住んでいたので、猪苗代まで1時間くらいかかった。親父は従兄弟の家に行くのを遠回りして、送ってくれた事に感謝している。
そして、迎えに来てくれた友人にも感謝している。
そんな奇跡が重なり合い友人と合流し、オハマ☆ブレイクの会場まで足を運ぶと友達と知り合いの友達が飲んでいた。
周りもブルーシートや椅子で日向ぼっこをしながら、お酒を飲んだり、親子でフリスビーやバトミントンをしていた。
野外フェスに行った事はあるが、ライブが行われている所で売店で買った生のトウモロコシをかじりながら、友人とお酒を飲んだりするのは初体験で本当に楽しかった。
野外フェスのアーティストもエレカシの宮本さんやスガシカオさんも聞け、その後に見る夕日は何とも言えない。まさに感無量!!の一言。
ライブが終わると部屋はドミトリーに帰り飲み直し!!温泉に入り、朝迄馬鹿話をして、それぞれが眠りに落ちる。
コロナ禍になり、乾杯が恋しい。
そして、あの奇跡の日よありがとう。偶然のような必然の日に。
また、このキツい日が終わったら乾杯を上げる日を、楽しみにして私は前進するのみ。