I Still Call Australia Home‐「オーストラリア留学」の勧め
大学生の自分探し
1989(平成元)年、私は大学に入学した。ほかの大学生と同じように、「私は何かの仕事に就いて、何かになれるのか?」という心配事をもっていた。あれから長い月日を経て、今や大学の教員になって20年以上を数えた。そこで分かったことは、学生は大学生活の4年間の間に、何かの職業や進路を選び、卒業していくことである。大学時代は自分探しの旅なのだろうか。3月は別れの季節であり、4月は出会いの季節である。
オーストラリアに行く!
では、私の場合、「何かになれるのか?」という心配事を解消する手がかりをいつ得られたのか。それはもしかしたら、オーストラリアへの留学かもしれない。留学といっても、大学への正式な交換留学などではなく、最初は、1992年の大学3年から4年にかけての1か月のホームステイ(キャンベラ)、次は、1996年の大学院博士後期課程2年のときの2か月の調査旅行(キャンベラ、メルボルン、ブリスベーン)であった。大学院時代の調査旅行では、その航空券代金のために、オーストラリア政府の奨学金を得ることができた。今もとてもありがたく思っている。
I Still Call Australia Homeー「楽観性という希望」
その後も、カンタス航空でオーストラリアに行く機会が何度もあった。シドニーで着陸するとき機内で聞こえてくる音楽が、I still call Australia home であった(I still Call Australia Home’ | 日々の勉強日記 (ameblo.jp))。
この曲を聴いてわかるように、オーストラリアには「友情を大切にする精神」「楽観性」「家庭やコミュニティの尊重という考え方」がある。「楽観性という希望」―このようなスピリットは、現地で、そして帰国後も、私がリラックスして研究を進めることに寄与してくれた。オーストラリアを選んで大正解だった。ホストファミリー、大学の先生、学校の先生、多くの友人に出会うことができた。コアラを見ることもできた。最近、ヨーロッパなどに研究発表の舞台が広がっている。もちろん、英語での研究発表である。しかし、それも、オーストラリア人の研究仲間に誘われてのことであった。もしオーストラリアでの研究経験がなかったとしたら、海外での研究発表などは今も夢のまた夢だったかもしれない。
留学の情報
これから留学を考えている人にも、オーストラリアという選択を考えてほしいと思う。留学の情報は、東京のオーストラリア大使館内にある豪日交流基金(豪日交流基金 (embassy.gov.au))に行くと得られるので、調べてみるといいと思う。
(© Dr Hiroshi Sato 2023)
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