学級、学校を変える「エンゲージメント」
物事には表と裏がある。裏側から考えるとうまく行く場合がある。将棋で言えば、金だけを見ているのではなくて、成銀、成桂、成香について考えるような思考が必要なのだ。例えば、リーダーシップの概念の理解は容易ではない。そうなってしまう理由は、リーダーシップの表側だけ見ているからだろう。
いまだに、日本では、リーダーシップとは、管理的であるという捉え方がある。管理的な面があることは否めないが、管理は主軸ではないだろう。リーダーシップとは影響力であり、リーダーとフォロワーとの相互作用という考え方もある。この理解は、一歩進んでいるが、影響力を全面に出した時、その主体は、学校の場合、校長に限定されがちである。相互作用の捉え方も魅力的であるが、リーダーが一つの軸になっている。このため、リーダー中心のリーダーシップから脱却できない。
リーダーシップの主人公(発揮主体)を多様化するために登場したのが分散リーダーシップ(distributed leadership)である。誰でもリーダーになれるという考え方である。たしかに、学年主任も学級担任も部活の顧問も時と場合によってはリーダーになれる。ところが、分散リーダーシップ概念には、分散(役割分担や権限委任の分散)に焦点化しているがゆえに、限界がある。すなわち、リーダーの価値観、授業改善(インストラクショナルリーダーシップ)、信頼関係の形成という観点が後景に行ってしまうことがある。そこで、リーダーシップ概念の再定義が求められる。(この点については拙著『コロナ禍の学校で 「何が起こり、どう変わったのか」』東信堂、2022年で検討した。)
ここまでリーダーシップ概念の表側について考えてきた。これを、裏側(関連概念と言った方がよいだろうか)から考えると二つの概念に着目できる。一つは責任(アカウンタビリティとリスポンシビリティ)である。もう一つは、エンゲージメントである。責任については私の博士論文で検討した(『オーストラリア学校経営改革の研究』東信堂、2009年)。ここでは、エンゲージメントについて扱う。では、エンゲージメントとは何か。
エンゲージメントとは、没入、夢中になった状態である。エンゲージメントは行動、情緒、認知の観点から構成されている(出典:https://safesupportivelearning.ed.gov/topic-research/engagement)ここでは、アクティブ、参加、主体性、つながりが鍵になる。誰でも子供の時、夢中になって遊び、本を読んだ感覚を持っているだろう。夢中になれるような教材、教え方、授業展開を工夫することが求められている。「主体的、対話的で深い学び」は、エンゲージメントした状態(好ましい未来)を達成するために、どうすればよいか(アプローチ)を考えるとうまく行くと思う。
エンゲージメントされた学級でリーダーシップをとるのは、子どもであり、もしかしたら背後にいる(時々表に出てくる)のが担任である。今、学級で考えたが、学校全体において、教師がエンゲージメントできる状態にもっていくのが校長のリーダーシップである。このように考えると、リーダーシップを発揮しようとするよりも、エンゲージメントを実現するための活動や創意工夫を続けることが、学級、学校を変えるために重要になる。教育実践に焦点づければ、リーダーシップとは、いわば、「学校や学級でエンゲージメントを実現するためのプロセスである」と定義できるだろう。さらに、リーダー(管理職、学年主任、学級担任)は自らのエンゲージメントについて考える必要がある。「自分はエンゲージメントできているのか」という問いである。
学級、学校を変えるためには、エンゲージメントが鍵になる。「クラスの子どもが、行動、情緒、認知の観点から、夢中になっている状況をつくりたい」ことは教師の共通の願いであり、得意分野(または努力できる分野)である。そのためなら、いろいろな創意工夫ができるだろう。つながりをつくることはその一つである。「教員が子どものために夢中になっている状況をつくりたい」という発想を持っている管理職はいるだろうか。仮にそう思っていても、メタ認知として、概念化できている校長は少ないだろう。しかし、その発想に一旦立った時、様々なことができるはずだ。エンゲージメントによって、自らも皆も変わっていく可能性がある。エンゲージメントの観点から学校評価を再構成できないだろうか。
Copyright Dr Hiroshi Sato 2022 本稿の著作権は執筆者に帰属します。引用、参照する場合、出典を明記してください。
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