『美点凝視』の可能性(致知23年12月号)
対談『チームづくりの要諦は人間学にあり』より
慶応義塾高等学校野球部監督 森林貴彦氏と金蘭会中学校バレーボール部監督 佐藤芳子氏の対談は、スポーツの指導者同士ということもあってか、互いに熱い想いを語り合うものだった。
野球とバレーボールという種目の差はあれども、二人には共通するものがあったのだ。
それは、”致知を生徒の指導に取り入れる”というものだ。
致知を読み、感想を互いに発表し合うことで、その人のなりを知り、また自分を相手に知ってもらう。これによって他のチームにはない強い連帯感を育むことに成功したという。
致知の読者であればお馴染みの『木鶏会』というこの集いは、かくも人を成長させるものなのか、と改めて驚きを感じる。
木鶏会が通常の読書会と一線を画す最たる特徴は、相手の発表に対して感想を述べる際に重要視する『美点凝視』に他ならない。
同じ記事を読み、感想を発表し合う。それは自分と同じ解釈や考え方ではないことが多く、また必ずしも良い感想であるとも限らない。
しかしながらこの『美点凝視』では、あえて良い所だけを抜き出し、それを発表者に伝えるのだ。
自分の良い所を面と向かって言われて、気恥ずかしさはあろうとも、嫌な気分になる人は少ないだろう。
この過程を経ることで、最近増えているという『自己肯定感の低い子たち』も自信を取り戻し、学年やポジションの垣根無く、自らの意見を発信していくことができるようになったのだという。
『美点凝視』の効果はそれだけではない。
ここで私の体験談から、少し不思議な話を紹介しよう。
『美点凝視』の可能性
あれは就職して3年目のことだった。
その時の上司である課長は、はっきり言って部下からの評判は良くなかった。
あれしろ、これしろと指示を出すまでは良いのだが、朝令暮改を繰り返したあげくに「まだできていないのか」「仕事が遅い」等々文句を言ってくる始末で、陰では「あいつは碌な死に方はしないな」などと嘯かれていたものだ。
かくいう私も多分に漏れず、ストレスでどうにかなってしまいそうだった。(飯も喉を通らないほどに憔悴していたところに「仕事も遅ければ、飯を食うのも遅いな」と言われたこともある)
そんな日々を送っていたある時、風呂に浸かりながら「何故そんなことを言うのか、一体何がしたいのか」と憤っていたところ、ふと課長の立場になって考えてみようと思い立った。
「・・・そういえば、課長は管理職になりたてで、それまでの自分の仕事だけをこなしていれば良いという環境から、急にプロジェクトを任されるようになって、自分だけでなく部下の仕事も見なくちゃいけなくなって・・・新しい環境に適用しようと焦った結果、空回りしてしまっているのかもしれないな」
相手の置かれた立場を冷静に考えてみると、自然とこう呟いていた。
「やり方はともかく、右も左もわからない中で、立ち止まることなく頑張っているというのは、純粋にすごいな」と。
その瞬間、私の中に巣食っていた黒い感情がきれいさっぱり消えていたのだ。
そこからは楽だった。
重く感じていた会社へ向かう足取りも軽くなり、不思議と課長の周りに対する態度も軟化していき、それから半年もたったころには冗談を言いながら酒を酌み交わすこともできるようになったのだった。
『美点凝視』で相手の良い所に気付くと、その人がどんどん好きになっていく。
嫌いだった相手が好きな相手に変わっていくと、それまでの暗鬱とした世界がどんどん明るくなっていくのだ。
詰まる所、『美点凝視』は相手のみならず、自分自身さえ変えてしまう可能性を秘めているのだ。
最後に、一つの言葉を紹介しよう。
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