明石の暴言王が許される理由
ピントが外れている。
明石の暴言&虚言王が許される理由の一つ目は、暴言報道の直後に神戸新聞の印象操作的記事と、それを受けた山本一郎の「アントニウスの演説」的なコラムが出たことで、泉は正義の熱血漢=暴言に正当性があるという(誤った)認識が広がってしまったためである。暴言の主な相手がpublic enemyとされている公務員(市職員)、自民党議員、土建業者であることも、悪を叩く正義の暴言なのだから許されるという「愛国無罪」的な世間の評価につながった。
その後、泉が自己宣伝する「ボロボロだった明石市を短期間で再建した」や「子ども第一」をメディアが好意的に報じ続けたことで、泉の無謬性が一層強化されることになった。
もう一つ重要なのが、その特異なキャラクターである。泉が「ちょっとおかしい」のは(ほぼ確実に)◯◯◯◯だからだが、
身近な人には有害極まりないその普通ではないところが、メディアを通すと毒節芸人のように見えるために、普通の政治家には許されない暴言もキャラ・持ち味のように解釈されて無問題となった。
川勝のように国家的事業を妨害したわけでもないところも違う(むしろ、国難の少子化への対策に成功したと評価された)。
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