西洋人エリートの強迫観念
普通の日本人には理解し難い西洋人の思考について。
動画中で紹介されている記事👇。
日本も各国ともにトランスジェンダーの権利を守ってほしい🏳️⚧️https://t.co/NCYIN5JKPA
— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア (@HuffPostJapan) July 4, 2024
医師の診断なしにトランスジェンダー当事者が性別を変更できるようになるドイツ
自己決定は「当事者の尊厳を取り戻す」と訴えるドイツのニーケ・スラーヴィク議員の寄稿をご紹介します✍️#LGBTQ pic.twitter.com/uD3cFxKLF7
👇のコメントを書いたのはおそらく男だと思われるが、「自称トランスの男を女扱いするべきではない」と考えるのは女ではなく男が多い。男は現実的に考えるが(情より理)、女は自称トランスの「弱者性」に共感するためである。
これはもう女性に対する差別では?
なぜドイツのフェミニスト層は黙ってるんだ?
いつまで弱者を振りかざす差別主義が横行するんだ?
👇は西洋人特有の思考から来ている。
何で他国(日本)に押し付けるんだ? 意味わからん
こう👇いう特有の思考(強迫観念)である。
要するに、さまざまな事柄について普遍性を探求し、また自分たちが作り出したものこそが普遍的だと考えるのが、西洋文明の特徴だということです。こうした特徴は他の文明ではあまり見られないものですから、単なる「特徴」というよりは「特殊性」と言ったほうがよいかもしれません。西洋文明は、普遍性を偏重する特殊な文明だということです。
ユダヤ教を含め、すべての一神教は自分たちの律法を広めなければならないという強迫観念を持つようになった。ところがその後、カトリック教会はユダヤ教とは異なる三つの側面を持つようになった。一つめは、聖書を読む権利は司祭だけにあること。二つめは、司祭は異教徒を改宗させなければならないこと。三つめは、ギリシアの文献の研究を禁じたことだ。イスラム教もこれらの側面をほぼ踏襲した。
Wokeism(DEIイデオロギー)も「三つの側面」を継承している。
一つめ⇒「社会正義」を決められるのは高学歴エリートだけ
二つめ⇒エリートはwokeしていない"異教徒"(日本人も)を改宗させなければならない
三つめ⇒科学的知見を無視する(例:性はbinaryで男/女の二つしかないが、それを無視してspectrumだとする)
この強迫観念は異教徒・異端への強い攻撃性となって表出する。現代ではwokeしない者、DEIイデオロギーに反対する者が悪の権化であり、絶滅(キャンセル)の対象である。
本書で研究される妄想は、今なら指導的階級(エスタブリッシュメント)と呼ばれるだろう社会階層にぴったり適合したものだった。修道僧、司教と教皇、国王、大貴族、正統的神学者、審問官と治安判事――これらの人々はこの特異な伝統を伝えてきた。
『千年王国の追求』と『魔女狩りの社会史』はもっと深い意味においても関連している。根本において、両者は同一の現象――堕落をもたらした張本人、あるいはまた悪の権化として想像されたある種の人間たちを絶滅することによって、この世を浄めようとする衝動――と関係している。社会的な意味関連(コンテクスト)は相異なるが、衝動そのものは疑いもなく同一である。さらに大切なことは、今でも我々はそういう衝動を抱きつづけているのである。
彼らの言う多様性とは、多様な人々が同じイデオロギーを信奉している状態のこと。昔で言うなら、老若男女も白人も黒人もアメリカ原住民もアジア人もキリスト教信者になっている状態が「多様性」。
本当の多様性って、たとえ彼らの方針とは違う国があってもそれを認めるってことじゃないの?
つまり、こう👇いうことで、具体的にはmajorityがminorityに合わせる(従う)ことになる。
Diversity⇒異なる文化・価値観の人々を
Inclusion⇒一つの集団に詰め込んで
Equity⇒均一化する(逸脱は認めない)
Wokeismという妄想は、キリスト教や共産主義と同じで人類普遍のものではないのだから、相手にしなければよいだけである。