「性被害」という凶器

これ👇には同意。

司法制度・公権力による公正な「裁き」を避けて民間による社会的制裁(キャンセル)を煽動するのは文明社会に対する重大な挑戦といえる。

Dignityカルチャーはその逆で、多少のことは受け流す寛容さが尊ばれる。重大な加害への対応も、自力救済ではなく法に基づいた解決が当然とされる。文明社会の文化と言える。
多くの社会は文明化とともに暴力的解決のhonorカルチャーから理性的解決のdignityカルチャーに移行してきたが、近年のアメリカの大学から広まっているのがvictimhoodカルチャーである。Victimhoodカルチャーは過敏で不寛容な点ではhonorカルチャーと同じだが、自力救済ではなく、自分が被害者だと周囲にアピールして第三者や公権力に相手を攻撃させる点がhonorやdignityとは大きく異なる。
二人の学者はインタビュー記事では言及していないが、victimhoodカルチャーは、自分たちが気に入らない事象(萌え絵や家事する女など)を性差別だと難癖をつけてネット炎上させ、撤回や謝罪に追い込むフェミニストのカルチャーに他ならない。

性的放埓を犯罪のように扱う風潮が危険なのは、

  • 社会常識や社会規範は時代によって変化する→事後立法による遡及処罰のようなことになる

  • 当人の記憶・感想も変化しうる→その時点ではOKだった性行為を「不本意だったのに断れない状況に追い込まれていた」と記憶を改竄することは珍しくない(投資する時点では納得していたが、結果的に損すると「騙された」と相手に非があったと責めるようなもの)

  • ある男と何らかの接点があっただけの女が「◯年前に性被害を受けた」と言うだけで男の社会的信用を失墜させることが可能になる(性的関係がなくても可能)

などのためである。女の感情次第で男が破滅させられかねない強力なカード(ジョーカー)を民間に野放しにするのは危険極まりない。

文藝春秋も保守から米民主党的リベラルに転向しているので、日本にwokeカルチャーを広めるための言論活動の一環ではないかと疑ってしまう。

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