中野本の「貨幣とは、何か」を検証

中野剛志の信者ビジネス本の問題点を検証する2回目。1回目はこちら

貨幣とは、何か。これについては大きく分けて二つの説があります。 一つは、貨幣が物々交換によって発展したという「商品貨幣論」です。しかし、この「商品貨幣論」は間違いであるということが、歴史学や社会学あるいは人類学の研究によって判明しています。
もう一つの貨幣の考え方は、「信用貨幣論」というものです。「信用貨幣論」とは、貨幣を「商品」ではなく、「負債の一種」と考える説で、結論から言えば、「信用貨幣論」が正しい貨幣論です。

「貨幣とは、何か」について、中野とは別のたとえ話で説明してみる。

ある常設マーケットに人々が商品を持ち寄って交換するとする。このマーケットでは交換の媒体として指定業者が発行するポイント券を用いる。

①ポイント業者は商品を担保にしてポイント券を発行する(質入れのようなもの)。
②ポイント数は商品の市場価値に比例する。例えば、塩1kgと米200gが等価なら、塩1kg=100p、米1kg=500pといった具合になる。
③ポイントは無期限有効。

塩業者が塩10kgを持ってマーケットにやって来る。塩業者は米800gが欲しいので、

まず塩4kgを質入れして400pを入手(400p)

400pと米800gを交換(0p)

マーケットで残りの塩6kgを600pと交換(600p)

400pで塩4kgを質請け(200p)

マーケットで塩4kgを400pと交換(600p)

300pを魚、200pを果物と交換(100p)

残った100pは将来使うために持ち帰る

このポイント券は貨幣の三機能の➊価値の尺度、➋交換の媒体、➌価値の保存を満たしているので、事実上の貨幣とみなせる。

ポイント券は現金に相当するが、利用者がポイントの移動をリアルタイムでポイント業者に通知→ポイント業者が利用者のポイント残高を帳簿上で増減させるペーパーレスの仕組みにすれば、ポイントは銀行預金に相当することになる(→貨幣には物理的実体は不要)。

このポイントは塩や米などの商品を裏付けとして発行されているので商品貨幣と言えるが、例えば「1年後の塩」を裏付けとして発行すれば信用貨幣にもなる。塩業者が1年後に塩1kgを持ってくると信用できれば、ポイント業者は1年後の100pから時間価値分を引いて例えば99pを現時点で発行する。

1年後の塩1kg

1年後の100p(将来価値)

現在の99p

将来の価値を裏付けとしてポイントを発行するのであれば、裏付け資産を塩や金や銀などの特定の商品に限る必然性はなく、有価証券や事業向けの貸出債権などの金融資産でもよくなる。

1年後に100pで確実に償還される割引債

現在の99p

裏付け資産の対象を拡大して「将来にポイントと交換され得る何か」にするわけである。

商品貨幣⇒現在存在する価値
信用貨幣⇒将来発生する価値(の期待値の現在価値)

漫画の9ページではロビンソン・クルーソーが野イチゴ、フライデーが「秋に魚を渡す」という借用証書を交換しているが、この借用証書は将来の商品(魚)を裏付けとしているので「何の価値もない」ものではない。価値あるものは「金や銀」だけではないので、これ(⇩)は正しくない。「この説」を信じさせるための詭弁である。

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マーケットのたとえ話からも明らかなように、貨幣は「租税を徴収する国家権力」がなくても成立する(そうでなければ、徴税する国家権力の出現前には貨幣が存在しなかったことになってしまう)。マーケットを国全体、ポイント業者を銀行にしたものが現代の貨幣制度で、国家権力の最も重要な役割はルールを設定してマーケット参加者に遵守させることにある。

さて、貨幣が負債であるならば、債務を負うと、貨幣が生まれるということになります。

中野の致命的欠陥は「貨幣は負債である」という「地動説に匹敵する大発見(との錯覚)」に興奮する余りに債務に対応する債権の存在を失念していることにある。貨幣(銀行の債務)の価値を裏付けているのは銀行の債権の価値である(→だから不良債権が問題になる)。「貨幣は価値ある資産を流動化させたもの」、つまりは一種の資産担保証券でもあることを見落とすと、おかしな方向に行ってしまう。

では、現金通貨は、どうして価値を持つのでしょうか。どうして、お札は、単なる紙切れではなく、「貨幣」として使われているのでしょうか。なぜ、貨幣は、貨幣としての価値が信用され、使われるのか。「信用貨幣論」に基づきつつ、この問題に明快な答えを出した理論があります。それが、MMT(現代貨幣理論)なのです。

中央銀行と政府が発行する現金に価値があるのは、裏付け資産の価値が毀損するリスクが無視できるほど低いからである。現在の世界では金、外貨(米ドル等のハードカレンシー)、国債が主な裏付け資産だが、国は徴税権という絶対的な集金力を持つ永続的存在なので、自国通貨建ての国債は信用リスクを無視できる安全資産になる。これが「通貨の価値を裏付けるものは租税を徴収する国家権力である」が正しくなる理由であり、MMTの「納税義務を解消することが出来る」からではないことに注意。

無税にすると、貨幣の価値はゼロになり、お札はただの紙切れになってしまいます。

これ(⇧)は、税収分を銀行借入で賄い続ける→供給される財・サービスに対する貨幣量が増大し続ける→貨幣一単位の購買力がゼロに向かうからである。国債には信用リスクは無くても、濫発によってインフレを昂進させてしまうリスクはある。

中央銀行の裏付け資産についてはこれ(⇩)なども参考に。

反知性主義の信者には痛快なのかもしれないが、「貨幣とは負債だ」や「お金を生み出しているのは銀行なのさ」などと当たり前のことを今更ドヤ顔で言われても鬱陶しくて興醒めさせられるだけである。

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