日本経済の相対的衰退について、この👇ようなもっともらしい説明をよく見かけるが、事実とはかなりの相違がある。
このような個人や組織の判断ミス(過去の成功体験に囚われた)に原因があるとする説明が見落としているのは、バブル崩壊から約10年間の日本経済のマクロ環境である。
まず重要なのが、1990~91年のバブル崩壊に続いて、1993年から円高に襲われたことである。日本と同じく、1990年代初頭に不動産バブルが崩壊して不況に陥った北欧諸国では、為替レートの大幅減価→輸出促進によって内需の縮小が緩和されたが、日本ではアメリカからの政治的圧力のために、この不況を緩和するメカニズムが働かないどころか、逆方向に作用した。
もう一つの北欧諸国との大きな違いは、北欧は不良債権問題を早期の公的資金投入で解決したのに対して、日本は大蔵省が先送り・自然回復を選んだことが裏目に出て、1997~98年に金融危機が起こったことである。金融危機は実体経済にも大打撃となり、企業は生き残りのための緊急避難的行動を余儀なくされた(一例が1999年3月の日産自動車のルノーとの資本提携)。1998~2002年頃には雇用・設備・債務の「三つの過剰」解消や、合併・資本提携・経営統合といった企業の構造改革が急速に進んだ。
つまり、日本企業は「過去の栄光」に囚われて変われなかったのではなく、マクロ環境が厳しすぎたためにそれどころではなかったのである。日本にとって不運だったのは、金融危機とリストラ期がICT革命が本格化した時期と重なってしまったことで、ここでのスタートダッシュの出遅れが、デジタル先進国になれなかった大きな理由となっている。
日本企業が「変わらなかった」というのも完全な事実誤認である。👇はちょっと大げさではあるが、日本企業は収益力を著しく高めることに成功している。株価が史上最高値となったのも巨額の利益の裏付けがあるためである。
日本経済が相対的に衰退しているのは事実だが、その原因となった「自滅行為」とは、政財界の指導者が変わろうとしなかったことではなく、マクロ経済には逆効果に働く「企業の収益力を高める改革」だったわけである。