Wokeと司法積極主義

最近、日本の裁判所がwokeしている。

宗教ゼロ状態の特徴とは何か。社会生活、道徳、集団行動などを形成してきた宗教の価値観が、まったく意味をなさなくなる状態である。

西洋の敗北』p.170

同性間の婚姻が異性間の婚姻と同等だと考えられるようになった時点で、その社会は「宗教ゼロ状態」になったとみなすことができる。

p.170-171

日本の裁判所はどちらかと言えば「司法消極主義」だったはずだが、西洋リベラルのDEI、woke絡みの案件では明確に「司法積極主義」に転じたように見える。

元来、司法というのは、日米両方において、リベラルの牙城である。マイノリティに対する共感がリベラルが掲げる主要な主張のひとつとすると、マイノリティの権利を守るのに、司法ほどうまくできた組織はないからである。

山口真由『リベラルという病』p.66

目的が崇高ならば、法律の読み方に多少無理が生じてもいい。

p.77

法律を拡大解釈して司法が積極的に理想を実現しようという「司法積極主義」に対して、民主主義に任せようとするスカリアの思想を「司法消極主義」という。

p.77

👇では「中華民國に比べれば日本はまだまし」と書いたが、そうも言ってはいられなくなってきたようである。

デンゼル・ワシントン主演の映画『Fallen』では、追い詰められた悪魔が猫に乗り移って生き延びるが、アメリカでトランプに反撃されたwokeリベラルも東アジアに憑依して勢力回復を図るつもりなのかも。

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