I.Gログ 第03回『プロダクション I.Gのホームページ』
「I.Gログ」は、いずれ編纂されるかもしれないProduction I.G社史において正式に記録されることもなくただ語り継がれていくであろう昔話しをnoteという形で記録に残しておこうというコラムとなります。
筆者の主観を軸とした、その時、その瞬間の記憶と聞いた話で構成されておりますので、その際には修正を加えていこうと思います。
文・藤咲淳一(株式会社プロダクション・アイジー 脚本家)
1996年のホームページ
プロダクション I.Gは現在、公式WEBサイトを持っています。
https://www.production-ig.co.jp/
このWEBサイトがいつ誕生したのか。
既にサーバーにデータは残っていないと思いますが、1996年にこのドメイン名でのWEBサイトが立ち上がりました。
『掲示板』の存在が懐かしすぎます。
当初は手探りで、Gスタジオ(ゲームスタジオ)にいたスタッフがその立ち上げや運営を担っておりました。
実のことを言えば、この記事の筆者自身が最初の頃は手探りでHTMLを書いて全体構成などをしておりました。
もちろんノウハウ本片手に、HELLO WORLDの文字をブラウザに出すところから始めたりしておりました。これは『ケータイ捜査官7』でジーンが出るときにネタにしていました。
今のような作品情報がスタイリッシュに並ぶデザインとはほど遠く、個人のWEBサイトというよりも「ホームページ」といった形でのデザインだったと思います。
代表の挨拶などを例に取りますが、
「堅い挨拶」「柔らかい挨拶」というふたつの挨拶が掲載されております。
そしてもうひとつ。
――と、現在からしてみると企業コンプライアンス的にどうなんだ?みたいなことを世界に向けて発信していたこともありますが、当時のI.Gの雰囲気が少しでも伝わるとよいなと思っています。
とにかく自由でした。
自由と言っても、それなりの仁義は通しており「こういうこと始めますね」と口頭レベルでの伝聞のみでしたが。今はもっと複雑し段階を踏んでおります。
今なら怒られることもあるかもしれません。
看板であるはずのI.Gのロゴデザインまで変えてみたり、
コロコロとレイアウトを変えてみたりと好き放題していましたが、
当時の自由奔放さというか、クリエイターたちが集まってなにかを組み上げていくごとに変わっていくスタジオの姿のようなものがそうさせていたのかな……と思います。
なぜこのようなサイトを作ろうと思ったのか
インターネットという言葉の万能感に溢れた時代の流れもありますが、当初は立ち上げたばかりのGスタジオの求人が目的でした。
当時のI.Gはデジタル化によるアニメ制作をするスタジオというイメージも強く、とにかくインターネットが流行り始めた20世紀末の雰囲気がそうさせたのかもしれません。
実際のところ、聞き取りをしていると、社内の制作陣は紙で作ったメモを片手に作品を回している時代で、持ち込みしている制作だけが自分のパソコンを持っている状況でした。そして社内の制作にパソコンが支給されるようになったのは97年だと言われてもいます。Gスタジオはその性質上、ひとり一台のパソコンを持っていました。
筆者自身もスタジオ立ち上げの頃は机もなく、石川社長の部屋の経理の方の机を借りて、持ち込んだワープロで『やるドラ』シリーズの企画書をつくっていました。インクリボンのやつで。
『BLOOD THE LAST VAMPIRE』の企画書の話を前にしたかもしれませんが、Gスタジオ内のMacを使って神山さんと一緒に企画書を作ったりしたものです。複合機もありましたし。
そのために人の目を惹くコンテンツが重要であり、そのために多くのコラム連載を仕掛けていました。
こちらから「書きませんか?」と働きかけるわけでもなく、書きたいスタッフが自分から名乗りを上げて、記事をお越し、筆者が本業務であるゲームディレクターの作業の合間を縫ってデータの形にしていました。
作品情報、求人情報だけでなく、作品に紐付いたコラムや、個人名義のコラムなども人気でした。
石川社長の『国分寺アンダーグラウンド』
押井守さんの『勝つために戦え!』
北久保弘之さんの『読んで泣け!』
堀川憲司さんの『人狼日誌』
西尾鉄也さんの『週刊少年ひとおおかみ』
後藤隆幸さんの『後藤隆幸美術館』
後藤みどりさんの『後藤日報帳』
神山健治さんの『BLOOD奇譚』……など
多くのコラムが生まれています。
いつか復活して閲覧できるようにしてみたいのですが関連各所への許諾確認という壁が大きく立ちはだかっておりまして……、昔はよかったなぁと嘆くばかりです。
その中に初期の頃にあったホームページ制作者の愚痴というものがあり、それこそが唯一の更新記録なのかもしれません。
覗いてみてみると――。
この中の一番下段の記事に注目してみましょう。
この記事内容から10月1日に更新版、つまりリニューアルしておりますので8月くらいにサイトは立ち上がっていたのかもしれません。
愚痴とあるくらいですし、多忙な日々を送っていたのでしょう。
たしかに筆者が更新担当をしていた2000年の夏頃までは業務の合間を縫って更新を続ける状態が続いていました。
その後、別の制作の方に担当を代わり、見やすいサイトへと生まれ変わり、何度かのリニューアルを経て今の形となっています。
若さ故の過ち。
とはいえ、それがなければ今がありません。
当時、石川社長の「財産は人だ」(当時)という言葉をモットーに、どうWEBに人と作品を反映させていくかに注力していた記事構成だったように思います。
現在のWEBサイトは成長し、社会人となったプロダクション I.Gといった姿ですので、世の中に失礼のないように畏まった振る舞いを見せておりますが、内部にいるスタッフたちの面白さは変わっていないと信じています。
I.Gログの更新は不定期となります。