「借金している奴はパチンコ屋に行くな」に対する、別に返答は来なくても良い反論
「借金している奴はパチンコ屋に来るな」といった内容のツイートが一瞬だけ表示されて、次の瞬間タイムラインの水底に沈んだ。いいねが沢山ついているような気もするし、そんなこともなかった気がする。
この主張について、多額の借金を抱える身としては特に何も言うことがない。「そりゃそうだ」以外の感想が思い浮かばない正論だ。
一方で、それでもなおパチンコ屋に行く人たちには行く人なりの理由があり、中にはいろいろと事情を抱えている人もいるのだろうなと想像する。
「借金で打つな」は間違った主張ではないだろうし、大っぴらに反論しようとも思わないが、「それは別に大声で叫ぶようなことでもないだろう」との違和感もある。今日はそのことについて書きたい。
①そもそも働き口がない、もしくは何かしらの働けない事情がある
「借金している奴はパチンコ屋に来るな」とセットで主張されることが多いと感じるのが「その時間で働けよ」だ。今の労働市場は売り手優勢だ、選ばなければ働き口は沢山ある、そうだUber Eatsの宅配をやれ、とにかく空いている時間は働いて金を稼げ、といった具合に。
借金をしているなら働くべきだとする主張はその通りとしか言いようがないし、事実自分もそうするのが理想だとは思う。
ただ、この種の言い分は大抵の場合「何らかの事情で働けない人間」のことを一切考えていない。
身体の故障や病気、精神疾患など、個々人が抱える悩みの種はこうした主張の前では一切想定されていないようだ。およそパチンコ屋にいるすべての人間はお薬手帳など一度も持ったことのない健康な状態で、能力にこれといった凹凸がない労働力だと考えているのだろう。
また「選ばなければ働ける」らしい、働き口の労働環境についても一切考慮されていないように感じる。
厚生労働省の「一般職業紹介状況」によれば、令和5年12月分の有効求人倍率は1.27倍だったそうだ。これは求人者ひとりに対して1.27件の求人が存在するということだから、売り手優位の労働市場といって差し支えない。
しかしながら、求人を出している会社の労働環境が万全であるとは限らない。ハローワークの求人内容と実際に提示される条件が異なることはよくあることだし、ひょっとしたら「定額働かせ放題」みたいな人事制度を敷いているとんだブラック企業かもしれない。
そもそも就職活動は適当に済ませるべきライフイベントではない。
実際、Uber Eatsのようにギグワーカー(インターネット上のプラットフォームサービスを介して単発の仕事を請け負う労働者)になることを勧めてくる人が自分の周りにも多数いるけれど、その後のキャリアの展望を考えると正直「それって博打ですよね」以外の感想が思い浮かばない。
事実として、Uber Eatsのドライバーには現時点で労働基準法や最低賃金法が適用されない。プラットフォーマーが報酬を決定するような請負型労働を「博打」とは捉えない人たちにとっては「やれ」の一択だろうし、配達員を始めたことで苦境から脱出できた人もいるだろうから全否定するつもりはないが、少なくともそれが万人に効くような特効薬だとは自分は思わない。
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大体いつも、ここまで話すと「お前はああ言えばこう言うな」と言われて発言権を奪われるのだが、ここは自分のnoteだし、腹の中で滾る違和感を吐き出すためにも話を進めたい。
②お金を稼ぐ手段が他にない。趣味に精を出す暇がない
「パチンコ屋に行くのは暇だからだ」との指摘がある。少し前まではそう思っていたが、今はあまりそうは思わない。むしろ忙しくても行かねばならないシチュエーションもある。
こちらの主張は「暇なら仕事か趣味で時間をつぶせ!」とセットであることがほとんどだ。先に述べたように仕事で時間が埋まるとたしかに多少行きにくくはなるのだが、自分の場合は仕事柄、時給(単価)が最低賃金を割ったり、収入が予想以上に少なくなるケースがあって、そのときは大抵メダルが出るマシンで"じんかけ"をする羽目になる。
「趣味で時間をつぶせ!」はこれも真っ当な主張ではあるとは思うが、常時金欠状態の人物にとってはなかなか難しい話だ。
映画を鑑賞し、小説を読み、友人らとコーヒーを飲みながら世間話をして誰かからお金がもらえるなら是非ともそうしたいところだが、世の中にそんなに都合の良い話が転がっているはずがない。
金がないなら働くしかないが、働き口をうまく見つけられない場合は「金を作れる場所」にどうしても行かざるを得ない。
あまりにリスクが大きすぎる闇金を除くとなると、競馬・競艇・競輪・オートレースと様々な方法が浮上するが(なんだかオッズパークの宣伝みたくなってきた)、自分がこれまでに見た中ではパチスロがもっとも還元率が高いギャンブル、もとい娯楽であると思う。
大抵の人は「打てば負けるに違いない」「ギャンブルは胴元が絶対勝つようにできている」と言い切るが、そんな単純なものでもないことはスロット用のアカウントを作ったことがある人ならば容易にご理解いただけるだろう。
もちろん、パチンコやスロットで勝ち続けることは至難の業だし、自分にその資質があるとも思わないが、コトが上手く運べば「目の前の問題を解決するだけのお金が出る」ことはあり得る。
無論、それこそがいわゆる依存症のトリガーで、本来どうにもならないはずのことがなんとかなってしまうことが多々あるからこそのめり込みが加速するので十分に注意しなくてはならないのだけれども、人生が立ちいかないときに一銭にもならない読書や映画鑑賞に逃避するよりはマシではないかとも思う。
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「ああ言えばこう言う」もいよいよ佳境に入ってきた。最後は少し大きく出て、日本社会に対する違和感、具体的には労働市場の不全感についても少し触れたい。
③日本社会全体として"労働の対価"が適切ではない
ギャンブル依存症は「報酬系の機能異常によるものだ」と言われるが、そもそも報酬系の機能異常に陥っているのは自分だけではなく日本社会全体もそうであると私は考えている。
念のため申し上げておくと、私はマルクス主義とまでは行きませんが圧倒的に左寄りのスタンスの人間です。思想が合わない、もしくは一切受け付けない人はここらでブラウザバックすると快適かもしれません。
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皆さんは、2017年に『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』というとんでもなく恐ろしいタイトルの経済図書がベストセラーになったことをご存じだろうか。
内容をざっくり説明すると下記の通りだ(詳細は上記のURLからご確認を)。
人手不足、すなわち労働市場の需給が逼迫すると、価格調整機能にしたがって実質賃金が上昇し、新たな均衡が実現すると必ず書かれているが、実際はそうはなっていない(!)。
「人手不足が続いているにもかかわらず、なぜ賃金が上がらないのか」
「賃金を上げることが今後可能だとすれば、いかにして実現できるのか」
このふたつの問いについて、東京大学社会科学研究所教授の玄田有史先生がそれぞれの分野の第一線で活躍する研究者や実務家に執筆を依頼した書籍である。
なぜ賃金が上がらないのかの考察については本書をお読みいただくとして、さらに興味深いのはこの本がベストセラーになってからもう7年も経つのに、日本社会が未だに同じ問いを抱えていること(!!!)である。
↑厚生労働省が4カ月前に公開した動画「4.なんで日本の賃金は上がらないの?」。
労働経済白書の解説動画のため、未だに問いの段階で省内で揉みまくっていることはさすがにあり得ないだろうが、それでも日本社会に深く根差してしまった解決困難な問いであることが伺える。
そしてここからが持論。
日本社会の賃金上昇率が低いから、射幸性が高い娯楽施設に人間が集まってくるのではないか?
要は、労働によって得られる報酬が想定以上に少なく、ギャンブルにより得られる報酬の方が大きい(と感じる)ことが、人々がギャンブルにハマる原因の一つではないかと言いたいのだ。
個人としては――職場や取引先とは十分に納得的なお付き合いをさせていただいているため、自分にこの説を当てはめようとは思わない。
ただ、"神の見えざる手"が機能せず、賃金に上方硬直性のある社会では、パチンコやパチスロで得られる報酬がより魅力的に見える状況が生まれるのではないだろうか。
別に誰かと社会経済についての議論をしたいわけではないし、この主張について無理に納得してもらう必要もないと思っているから「いや、自分は十分に納得できるだけの給与を得られている」「俺は個人事業主/社長だから自分の収入は自分で決める」「日本人の報酬は十分高額だよ」とする立場の方々はここらでブラウザバックしていただくと良い(もう遅いかもしれないが)。
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なお、この説については「労働の対価を上げたところで、パチンコやスロットはそれ以上の報酬を得られるように設計されるだろうから無意味ではないか」とする反論がありそうだが、
少なくともパチンコ・パチスロは射幸性の幅を行政が決められるから、労働の対価がパチスロ・パチンコの報酬よりも相対的大きくなるような社会制度を設計することは可能であると考える。
「賃金が上がっても困窮する奴はきっと困窮する」とする主張については反論を控える。
実際、自分は一昨年くらいに月収が一時的に50万円に届いた時期があったが、そのとき得た金がほとんどギアスR2で溶けたことがあった。
「日本社会の報酬系にも異常はある」とする主張は、ややもすると自身のコントロール不全を責任転嫁するようにも聞こえるだろうし、少なくとも自分に当てはめることは難しいとは思っている。また、行政がどれだけ射幸性を絞っても、ヴァルヴレイヴのような脱法的なマシンが登場する可能性もある。
ただそれでも「パチンコ屋のネオンサインが一筋の光明に見えてしまうような、経済的に機能不全に陥っている社会である」可能性については、一度じっくり考えてみても良いのでは、と思う。
終わりに:みんな、何もかもが万全だと思い込んでいないか
ここまで「そもそも働き口がない」「お金を稼ぐ手段が他にない」「日本社会の報酬系がそもそも機能不全だ」と主張してきたが、そもそも「パチ屋に行くな。とにかく働け」と言っている人は、労働力も労働市場も、何もかもが万全に機能していると思い込んでいやしないか。
自分は今でこそ職を得ることができているけど、正直コロナ禍の後押しでテレワークが普及して、SaaS系の企業がいくつも発達していなければ今の職場には適応できていないと思う。友人から「病気の総合商社」と呼ばれているくらいで、労働能力に大きな波があり、能力に相当な凹凸がある人材であると自覚している。
↑「病気の総合商社」の元ネタ。最近まで「病気のデパート」だったけど、ついに総合商社にまで格上げされた。
繰り返しになるが「借金を抱えている人間はパチンコ屋に来店しない方が良い」とする主張は、本来は反論する気持ちが起きないくらいのド正論だ。
ただ、個人が抱える諸々の特殊な事情を踏まえずこれを大声で叫び続けるのであればそれはもはや正論ではなく暴論だ。環境要因を一切考慮しないのであれば、それはもはや単純な自己責任論の一形態でしかなく、極めて非理性的な主張に転化すると思う。まあそういった主義主張やスタンスもあり得るし、みんな自由に発言すりゃあいいので別に否定はしないのだが。
借金を抱えている人間が来店しないパチンコ屋は実に平和的で健康的だ。
ただ、正論をデカい声で叫んだくらいで問題が解決するなら依存症という病は既になくなっているであろうことを最後に申し上げてこの文章を締めたい。