なぜK-POPは彼に熱狂するのか?「G-DRAGON」の話。
DTMerのみなさん、
音楽好き、K-POPファンのみなさん、こんにちは!
日本を拠点に活動している
韓国人ミュージシャン・作曲家、YUNです。
BIGBANGのリーダーであり、
K-POP歴史上最も成功したアーティストG-DRAGONがなんと、
7年ぶりに新曲「POWER」を発表しました!
日本でも「My Heaven」、「BANG BANG BANG」、「ピタッカゲ」などの楽曲で大活躍したBINGBANGとG-DRAGON
日本でも彼のカムバックを待っていた方々が多いと思います。
K-POPの歴史を語る時、とても大事にされるG-DRAGONですが、
一体彼のどういうところが、なぜ評価されるのか、
あまりイメージができない方も中には多いかと思います。
今回の記事では、彼のカムバックを記念して
G-DRAGONが歩んできた道をみなさんと一緒に歩いてみたいと思います!
*歌詞の翻訳はわかりやすいように訳しています。
意訳を基本としましたのでご参考程度にお願いします。
01. お子様ラッパーの登場。
YG Familly - おしゃれの紳士(G-Dragonは0:59から)
G-DRAGONは5歳の歳で子役として初めて芸能界に入ります。
ダンス、歌、演技など、多彩な才能があるとに気づいた彼の両親は、彼にできるだけ多くのチャンスを与えようと多方面にコンタクトをとったそうです。
「Wutang Clan」のようなアメリカのヒップホップと出会った彼は、13歳にYG ENTERTAINMENT(BLACKPINK, BABYMONSTER, BIGBANGなどが所属していた芸能事務所)に入ることになります。
YGはヒップホップ、R&Bのようなブラックミュージックをベースにしたアーティストを輩出していた事務所で、彼が作りたい音楽を十分にサポートできる会社でした。
まだ韓国でヒップホップがポピュラーではなかった時代に13歳の子供が優れたFLOW(ラップのリズム、スキルなど、流れを意味する言葉。歌に例えるとメロディーのようなもの。)でラップする姿は、とても大きい注目を浴びました。
彼は6年間YGで音楽やラップを学び、
19歳で初めてBIGBANGとしてデビューします。
02. 少年、天才の誕生とその異面。
BIGBANG - LIE
ブラックミュージックで有名なYGからヒップホップをベースにしたアイドルがデビューするという噂は、とても話題になりました。
6年間、自分の少年をヒップホップにかけたG-DRAGONでしたが、
BIGBANGはあまり歓迎されない、異邦人のようなグループでした。
HiphopベースにしてはPOP寄りだったので、ヒップホップファンからは「偽物」、「ただのクズアイドル」のような評価を受け、
ポピュラー音楽としても、メロディーよりリズムを重視にした楽曲編成だったため、「中度半端」、「音楽性がない」という評価を受けました。
ヒップホップ・ポピュラー音楽としても受け入れられず、去られてしまいそうなBIGBANGでしたが、
G-DRAGONが作曲、作詞、プロデュースした「LIE」が奇跡的にヒットしたことをきっかけに、「Haru Haru」、「My Heaven」などの楽曲を発表、アイドルとしての地位を固めていきます。
BIGBANGの「LIES」は、
アイドルメンバーが作曲・作詞などの楽曲製作に主体的に参加した
初めての楽曲になります。
この「セルフプロデュース」文化は、
彼を起点に「BTS」、「SEVENTEEN」のようなさまざまな後輩グループに影響を与えます。
G-DRAGON - 少年よ(A BOY)
03. 少年、「韓国で一番嫌われる奴」になる。
G-DRAGON - Heartbreaker
皮肉に、K-POP市場でBIGBANGが人気を得ていくほど、
G-DRAGONが大好きだったHiphopコミュニティーでの評価は悪くなる一歩でした。
21歳、彼のソローアルバムのタイトル曲、「Heartbreaker」がFloridaの「Rightround」と似ていて、楽曲を無断にパクったのではないか、という意見があったのです。
この事件に対して彼はFloridaとのコラボを通して、「HeartBreaker」がパクった楽曲じゃないことを証明しましたが、一度落ちた悪評判はなかなか取り戻せませんでした。
G-DRAGON - Heartbreaker (Feat. Flo Rida)
G-DRAGON - Gossip Man
04. 少年、自分の才能を証明する
G-DRAGON - ONE OF A KIND
そんな彼がヒップホップコミュニティーからも注目され始めたのは、
2番目のミニアルバム「One Of A Kind」からでした。
BIGBANGでは再現できなかったストレートなHiphopのビートに基づき、「Chrome Hearts」, 「CHANEL」、「Louis Vuitton」、「Givancy」のようなハイブランドの素敵なファッションを全面に出したヒップホップのSWAG文化:
(自身の成功により大金を手にしたラッパーが自分の経済力や贅沢を自慢することで、その影にあった努力と苦労を強調する文化)
を完璧に再現したPVなどで、Hiphopコミュニティーの評価を得ました。
「Jerry K」,「Simon Dominic」、「Tablo(EpikHigh)」、「Verbal(M-flo)」のような韓国、日本のヒップホップアーティストからShout Out:
(他のアーティストの作品に対し、SNS、インタビューなど公事の場で良い評価をすること)
を受け、彼がアイドルではなく、ヒップホップ文化に基づいたアーティストであることを証明しました。
’ただの’アイドルがアーティストとして評価された、初めての瞬間でした。
2014 Melon Music Awards (MAMA) Performence
また、彼は自分を招待したMAMA(Melon Asia Music Awards)の舞台に立ち、
その授賞式の公平性をさりげなくDissすることで、
ファンクラブの雰囲気ばかり読んで、
アイドルの音楽を楽曲として評価しない音楽業界を批判するなど、
「間違ったことに対しては勇気を持って疑問を明らかせる」Hiphop精神を見せて、多くのアイドルファンやHiphopマニア、コミュニティーから大きい共感を得られました。
彼はこうしてしっかり自分の「アーティスト性」を証明しつつも、「ピッタカゲ」、「WHOYOU?(なにさま)」などのポピュラーな楽曲を通して、アイドルとしても大きい成功を手にしました。
G-DRAGON - ピッタカゲ(CROOKED)
G-DRAGON - 니가뭔데 (WHO YOU)
また、
彼はこの時期から音楽を超え、アジア人としては初めてCHANELのミューズになるなど、世界的なファッショニスタになります。
彼の特徴である中性的な外見は、
クールなスタイルから可愛いスタイル、
ストリートからレディースまで幅広く彼のスタイルにできたので、さまざまなブランドやデザイナーからラブコールを受けたり、彼が着用したアイテムがすべて売り切れるなど、この時期からいわゆる「韓国ファッション」を確立しました。
05. 少年、みんなのアイドルになる。
BIGBANG - What is Right?
GD & TOP - ZUTTER
BIGBANG - BANG BANG BANG
アイドル。
辞書によると「多くの人から偶像のように好かれるポップ文化のスター」、「ロールモデル」を意味します。
BTS、SEVENTEENのようにG-DRAGONから影響を受けたさまざまなグループが韓国を超えて世界で大きい成功を得ている間、G-DRAGONはアイドル出身のアーティストとして、「アイドル」と「アーティスト」の壁を薄くさせました。
ヒップホップアーティストとしての楽曲と、アイドルとしての楽曲の区別が確実だった以前に比べて、より自由に深みと共感のメッセージを込めた楽曲を通して、彼は若者の「ロールモデル」、「アイドル」になりました。
彼の影響力は音楽とファッションを超えて、
韓国のYoung Culture全般を代表する人物になりました。
この時期のG-DRAGONはソロ活動はもちろん、BIGBANG、そしてBIGBANGのユニット「GD & TOP」、「GD X TAEYANG」など、発表するすべての楽曲を大きく成功させたのはもちろん、
「GD병」(GD病:G-DRAGONのファッションや喋り方、ジェスチャを真似する人を意味する言葉)という言葉が流行ったぐらい、老若男女、関係なくみんなが憧れる本当の意味の「アイドル」になりました。
20代の半ばになった彼は、
彼自身が流行そのものであることを体現する伝説になりました。
06. 少年、自分をなくしてしまう。
G-DRAGON - BULLSHIT
20代後半になった彼は思いました。
入隊を前にしたG-DRAGONは自分のラストソロアルバムのタイトルを、
本名「クォン・ジヨン」にします。
この時期の彼は「G-DRAGON」より「クォン・ジヨン」、本名にすごく執着する様子をみえますが、それはポップアーティストとしての「G-DRAGON」から人間「クォン・ジヨン」を奪われたくない必死な気持ちが投影されていたのではないか、と思われます。
そういう気持ちがたくさん込められたせいなのか、
「クォン・ジヨン」の楽曲は暗くて鬱な内容を込めている楽曲が多いです。
BIGBANG - Loser
G-DRAGON - SUPERSTAR
アルバム「クォン・ジヨン」のワールドツアー、
「G-Dragon 2017 World Tour: Act III, M.O.T.T.E"」のドキュメンタリーによると、スタッフは毎日朝、彼の生存確認を。
彼は毎朝スタッフに自分がいる国と場所を聞いたぐらい、彼のメンタルは壊れたいたそうです。
彼は多少疲れているようには見えましたが、
なぜ彼がこの時期に本名「クォン・ジヨン」にあんなに執着したのか、
なぜ突然ヒップホップではなくバラード、「무제(Untitled,2014)」を発表したのか、私たちは知りませんでした。
彼の成功とスポットライトが明るすぎたせいで、
その影には気づけなかったのです。
G-DRAGON - 무제(Untitled,2014)
신곡 (神曲) Divina Commedia
ツアーのエンディング曲、「神曲」のエンディングは
映画「*トゥルーマンショー」のエンディングパートをモチーフにしています。
自分をおもちゃのように閉じ込めてた空間を飛び出す映画のエンディングとは違く、闇に食われてしまうG-DRAGONを見ながらも
眩しすぎる彼の成功に目が遠くなった私たちは、何も気づけませんでした。
誰かの夢になったアイドルは、
一人で寂しく、闇に落ちてしまいました。
07. 少年、本当の権力を手にいれる
2024年10月31日、
1988年8月18日生まれのG-DRAGONは88ヶ月ぶりに新曲、「POWER」を発表しました。8という数字にとても多い意味を込めている彼にとても相応しい派手なComebackです。
自分の人生を賭けていたYG ENTERTAINMENTを出て、新しい会社と手を組んだ彼は、「クォン・ジヨン」の時より明るくなった様子で、また新しく記録的な成績を書き直しています。
楽曲の最初に出る、「Übermensch」という言葉でこの楽曲の全てを説明できると思います。
7年間の休み間、彼が所属していたBIGBANGが大変な目にあったり、
手出したこともない麻薬事件に巻き込まれてしまったり、
大変な事件をまた多く経験しました。
しかし彼は、
世の中が決めたルールではなく、自分が自分を創造し、
音楽で自分の価値を証明していく方法を選びました。
以前よりもレベルアップされたラップ、
中毒性のあるメロディー、
空耳やPunch Lineを使った芸術的比類法で
’どんな噂があっても、俺は君たちのロールモデルだし、
俺は俺のやり方でそれを証明していく’というメッセージを込めました。
みなさん、
記事を読んでもう気付いたかと思いますが、
私は彼をずっと「少年」と表現しています。
36歳のベテランミュージシャンになった彼ですが、
どうやら多くのファンに彼はまだ「少年」として残っているようです。
その理由はもちろん彼が供の頃からメディアに顔を出していたのもありますが、
彼にはどこか少年みたいなところがあります。
純粋に音楽が好きだった13歳のお子様ラッパーのG-DRAGONが
36歳になった今年も相変わらす自分が好きな音楽で私たちのそばに帰ってきました。
私も彼が少年のようなその純粋な気持ちを無くさず、
永遠に音楽を楽しく作っていけることをファンとして願いながら、
どんなドラマよりもドラマチックだった彼の人生を一人の「少年」の話として
みなさんに紹介いたしました。
K-POPは彼がいなければ始まりませんので、
ぜひこの機会に彼の楽曲を聴いてみるのはいかがですか?
作成:YUN