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馬渡和彰(まわたりかずあき)選手
馬渡和彰(まわたりかずあき)選手 1991年6月23日生まれ
2014年 - 2015年 ガイナーレ鳥取
2016年 ツエーゲン金沢
2017年 徳島ヴォルティス
2018年 サンフレッチェ広島
2019年 - 2020年 川崎フロンターレ
2020年 湘南ベルマーレ(期限付き移籍)
2021年 大宮アルディージャ
2022年 - 浦和レッズ
小学生は普通の少年団、兄と姉がバスケをやってたので、6年生まではバスケもやっていた。
サッカーは世田谷区で3位で個人的にはギリギリ区の選別に入るくらい。
バネがあるのはバスケをやったおかげだと思う。
中学は部活、都大会にも行けないレベル。
高校は市立船橋にセレクションが滑り込んだ。
全然無名で、プロという場所が遠すぎて何もイメージできず、日韓ワールドカップでベッカムが取り上げられていてカッコいいなプロになれたらいいなと思う程度だった。
1つ上の中村充孝選手が上手過ぎて、彼がプロになったのを見て、こういう選手がプロになるのだ、自分には無理だと思っていた。
大学は関東2部の東洋大学。大学2年の時に一緒にやっていた先輩がプロになって、俺も努力したら行けるかもと初めて思った。多分その時にスイッチが入った。
大学4年生の時に子どもができて、俺と奥さんと生まれてきてくれた子どもに残された道は、俺がサッカーで上に行くしかないと思って常に背水の陣でやってきた。
ずっとハングリーに生きてきた。
プロになるのに一番大切な事は「自分を信じてやり続ける事」「やらされるんじゃなくて意欲を持ってやる事」。
そう語る馬渡選手のコアとなるメンタリティを育ててくれた指導者の言葉とは? 忘れられない母親から言われた言葉とは?
そして馬渡選手から若い選手、子ども達への熱いエールも。
答えはこの動画の中で語られています
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インタビュアー:古田寛幸(@furuhiro_mind) / Twitter
次回は渡部博文選手のインタビューです。
※選手の皆さんは未来の日本サッカー界を担う子ども達の為に無償でインタビューに答えてくれています。