自己紹介
シニアの方と一緒に、新しいマーケットを創りたい
仕事が自分を表現する唯一の方法だった日々
私は、これまでの人生、24時間働きづめだった気がします。仕事が好きというよりも、仕事が自分を表現する唯一の方法だったのかもしれません。
田舎町での育ちと家族初の大学進学
私は山口県の海辺の田舎町で育ちました。
特に夏はにぎやかな町です。昼間は海水浴、夜はバイクが鳴り響く。
この街で、私は兄たちの「おもちゃ」として育ちました。年の離れた兄たちにとって、私は格好のおもちゃでした。
今の環境から抜け出すため、家族初の大学進学を目指しました。義足の父は足を引きずりながら、私の意見を採用してくれました。定年退職の父は再就職を探し始めました。山口県の田舎町。義足の父。父の当時の苦労は計り知れません。
私はただ、自分だけのことを考えて実家を出ました。
人材業界での出会いとシニアビジネスへの挑戦
大学では遊びに夢中になりました。田舎から都会に行きましたからね。色々な場所に顔を出しました。その中で偶然に素敵な経営者に出会いました。私が人材業界に入社したのは、ただ「素敵な経営者になりたい」という憧れでした。人材業界が何をするのかは詳しく知りませんでした。
人材業界は若いマーケットです。社員も若いし、業界の歴史も若い。そして顧客の窓口となる方も若い。
人材業界で活躍していく中で偶然の出会いがありました。起業する前は、その時の仲間が設立したヘッドハンティング会社にお世話になっておりました。私は経営層・シニア層を多くターゲットする役割で私は自分の居場所を見つけました。他の人があまりやらない領域でした。
多くの方は若い方をターゲットとします。若い方の転職マーケットは活況です。シニア層は、転職支援が大変ですし案件自体が限られます。
そしてシニアの方は皆さん同じことを言います。
「年齢で転職先が出来ない」。
父の背中が教えてくれたシニアの価値
その言葉で振り返ることがあります。天国へ旅立つ直前まで働き続けた父の姿でした。父の土木作業員としての経験は、実は必要としてくれる人がいたんです。培った経験は年齢関係なく評価される。そして、父が培った経験のお陰で私は大学に行かせてもらい、今があります。
「シニアの可能性をもっと引き出せるのではないか」。
そう考えた私は、この領域に挑戦することを決めました。
気付けば20年以上人材ビジネスに関わっております。周りは若手人材の紹介に力を入れる中で、私は「誰もやらない道」、シニアを中心とした経営層の斡旋事業を専門としました。とにかく人に会い続けました。2024年は何と延べ3000人のシニア層、経営層とお会いしました。
頭の隅には、定年を超えてから再就職した父への恩返しの気持ちもあったのだと思います。シニアだから、義足だから、これらは転職の上で不利な条件かもしれませんが、転職出来ない理由にはならない。なにより父が培った経験は世の中の役に立っていたんだ。
経験が正当に評価されるマーケットを築きたい。
シニアと共に描く新しいマーケットの未来
20年間沢山の人に会い続ける中で、自信が生まれました。
「シニアビジネスは、これからの社会にとって重要な領域だ」
そして今、私は新しい一歩を踏み出しました。自分の経験を信じ、正しいと感じたことを実現するために起業に踏み切りました。今しかないと思いました。息子の進学が控えておりました。親の介護もありました。ちなみに我が家の愛犬も介護状態です。でも今なんだ。
シニアの方々と一緒に、新しいマーケットを創りたい。
シニアの斡旋事業というと、ある人からはボランティア?と言われました。おそらく、まだまだシニアの斡旋事業は難しいとの認識だと思います。
でも、マーケットはありました。それも魅力的なマーケットが。
これは私の挑戦です。いや、目の前にある可能性を見えるようにする話です。プロ人材機構を通して出会う皆様と一緒に、沢山の可能性を顕在化していきたいと思います。
皆様、ご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。