【短編小説】私とゼンマイ時計(終)
第1話はこちら。
1つ前のお話はこちら。
ご亭主に椅子をすすめられ、時計を手に持ったまま向かい合って座った。
最初に行った時計屋さんで言われたことを伝えると、ご亭主は
"これはトラベルウォッチというものです"
と優しく話し始めた。
どうも1970年~80年代に流行ったものらしく、旅行先に持っていっては開いて置く、というタイプだったようだ。
確かに畳むことが出来ることは知っていたが、そのような用途だったとは初耳だった。
その後、電池式の時計が台頭し、このゼンマイ式のトラベルウォッチは姿を消していったらしい。
ご亭主は祖父のトラベルウォッチを手に取ると、少し振って音を確認した。
どうも、ゼンマイのバネの部分がおかしくなってしまっているらしい。
時計を振ったのは、部品が外れてしまっているかどうかを確認したのだろうか?
この類のものは、一度開けてみないと修理が出来るかどうか分からないという。
ただ、可能性として考えられることを、丁寧にお店の中にあった時計のパーツをモデルに説明してくれた。
何とも言えない温かさに、つい聞かれてもいないのに、祖父の話が口から出た。
何かものをくれる、という祖父ではなかったのに、何故かこの時計をくれたこと。
そもそも何故この時計を祖父が持っていたのかは分からないけれど、今となっては形見だから直せるものなら直したい。
もし直らなくてもこのままそばに置いておくつもりです。
と。
夏の日射しの下を歩いている時には何ともなかったのに、突然涙が出そうになった。
人前で泣くなんてみっともない。
そう思って平生を装うとするが、恐らくご亭主には見抜かれていただろう。
きっとここに来るお客さん自体が、皆何かしら思い出を抱えて訪ねてくるに違いない。
そんなご亭主を誤魔化せる訳がないのだ。
ご亭主が口を開いた。
"開けないと修理できるかは分かりません。
修理できないと分かったらお金は頂きません。"
驚いた。
わざわざ開けて、確認し、そして閉じる、という作業をするにも拘わらず、直せない場合にはお代を頂かない?
そんな良心の塊のような人がいるだなんて。
ここはお店、それで成り立つのだろうか?
と要らぬ心配をしてしまう程だった。
ご亭主が少し間を空けて続けた。
"どうしても修理できないという場合、
最終手段ですが、
外見はそのままに中身を電池式の時計に置き換えることができます"
え?
一瞬頭に言葉が浮かばなかった。
"ただし、この目覚まし機能は使えなくなります"
と、ご亭主は文字盤の短い銀色の針を指さした。
この目覚まし機能は心臓に悪いくらい、
いや、確実に悪いと分かる大きな音だから、今後なくても支障はない。
と我に返って心の中でつっこみを入れた。
ゼンマイ式の時計は大好きだけれど、既にゼンマイを巻き切って止まってしまった今となっては、もう時計の裏のつまみがあっても回すことは生涯できないだろう。
何より、
このデザインが気に入っている。
是非お願いします。
自然と言葉が口から出ていた。
祖父の時計は、また確実に息を吹き返す。
例え全く同じではなくても。
あの
ちっちっちっちっ…
と、せっかちな時計ではなくても。
もう私も十分せっかちに生きてきた。
少しくらいゆっくり生きても良いかもしれない。
…まだ祖父の年の半分にも満たないけれど。
伝票を書いてお店を出た。
後日電話が来るらしい。
どちらの返答でも、きっと私は喜ぶだろう。
あ、でも、もし電池式になるのだったら、
時計の背面の写真を撮っておけばよかったな、
なんて考えるくらいには余裕が出てきた。
駅へと進む足取りは、何の重さも感じなかった。
まだ夏の日射しは続いている。
次にあの時計に再会するのはいつだろうか?
秋でも冬でも春でもいい。
でも一周回って夏だと、ちょっと淋しい気がするから、
もう少し早く帰っておいで。
私は心の中でつぶやいた。
~おわり~
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