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"自由"が孤独をうむ
「いつものように話をする人がいなくなった」
大学生になって最初のころ、そんなことを感じていました。高校までは”クラス"というものがあったけれど、大学ではそんな"枠"は用意されていなくて。
一種の孤独のようなモノがあったように思います。
関わり合いが自由になった大学生
大学には学科があって、私の場合はだいたい40人ぐらいでした。なんとなく、"中高のクラス"のようになると思っていたんですね。
だけれど、そんなに関わる機会がない。ぜんっぜん。
もちろん、関わろうと思えば、関われるモノと思います。だけど、積極的に話にいくタイプでなければ、なかなかに厳しい。
そして、その壁を砕くイベントは、ところによって差がある。
飲み会を頻繁に開くところもあれば、
必要最小限、実習のみ。みたいな
"運"というか"学科による特徴"というか、そんなものを感じました。
そんなこんなで、思ったのは、"クラス"という"枠"にこれまで助けられてきたということ。
学校から多くのイベントが与えられて、いつもいて良い空間が与えられて、積み上げてきた得た関係性、、
それがこれまでの自分のコミュニティだったんじゃないかと。
大学では、ご丁寧にそんなモノを用意してくれるわけありませんでした。優柔不断な私を強制的に突き動かしてくれるような"行事"とか"委員会"なんてものはなく、自分から参加したり、行動していくしかない。
自分の意志を持たなくてはならない。
"コミュニケーション"という意味で、大学は弱肉強食だと感じました。
でも、それが社会で生きるときに必要なのでしょうね。
待っていても、誰も手を差し伸べてはくれない。"運まかせ"では、あまりにギャンブルです。
もちろん、そんなこと意に介さない人もいると思います。私自身も「超話しかけるモード」みたいな状態になったことはあるので、なんとなくわかるつもりです笑。
だけど、少なからず、"強制されないコミュニケーション"が苦手な人はいるかと。
そして、それを打破するのは、「あなたに興味がある」とか、「よくわからないけど、とりあえず話してみる、参加してみる」とかの、
"意志"と"行動力"がモノを言うのだと思います。