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【プリズンライターズ】少年無期受刑者が考察する、正しさについて

幼い頃、誰もが一度はヒーローに憧れたことがあるだろう。
それは老若男女に拘わらず、正しさ、つまりは正義への憧憬を抱くことだが、いつしか大人になるに連れ、正しさの難しさに気づき、憧れも失われてしまう。

今、私が受刑者という身でこの拙文を書いていることを思えば、幼い頃の憧れは何処へ行ったやら、正義のヒーローどころか凡人にすらなれず、真逆の極悪人として暮らしている始末。いやはや、誠に面目なく情けない限りである。

さて、その極悪人の生活、受刑生活に於いてだが、意外と正しさについて考えさせられることが多い。
罪を犯した身で正しさについて語るな、と言われてしまえばそれまでだが、ここは一つ御容赦願いたい。

先日、知人に対して手紙の中でこう伝えた。
「正しさとは、それぞれの中に有するものであり、その形は様々で、当人からすれば自らが一番正しいのだ」と。
知人からは同感であると返事が届き、その中に知人が感銘を受けた言葉が綴られていた。
その言葉が今も私の心に残っている。

『私の正しさは誰かの悲しみ或いは憎しみ』という言葉だ。私も感銘を受けた。
何と的を射た言葉であろうか。平易な言葉でありながら、深く重い言葉である。
自らの正しさを他者に向け、その者が弱き者であるとすれば、 相手は傷つき、悲しむことになる。
又、その者が強き者であるとすれば、 相手は恨み、憎しむことになるだろう。その通りである。

正論は正しい。正しいが故に正論なのである。しかし、その正しさを武器にしてはならない。
思い遣りを欠くからだ。ただ、この思い遣りを自らが嫌いな相手へ向けることが非常に難しい。
人を嫌いになるということは、必ず自らが嫌う何かを相手がしているはずであり、一度嫌いになると嫌な所ばかりが目に付くからだ。

私たちは聖人君子ではない。況してや私たちのような受刑者は私欲の塊である。
基本的に周りの者のことを考えず、自らの欲の赴くままに生きてきたはずだ。
ならば尚更相手を思い遣ることが難題となる。

しかし、私たちもいつかは社会復帰しなければならず、社会に於いての正しさ、つまりは法を遵守しなければならない。
その予行演習が受刑生活だと私は心得る。だからこそ、常に正しさについて考える必要があるのだ。

所内でも大小様々な問題が生じる。それは常に対人の問題である。
結局は何が正しいのか、誰が正しいのか、という話しになり、双方が引かない場合は喧嘩へと発展するのだ。
ロシアとウクライナの戦争も然り、とどのつまりは双方の正しさの証明に他ならない。

それは争ってまでも証明する価値のあるものなのだろうか。
必ず遺恨が残ることは火を見るよりも明らかだ。況してや国家間での戦争などは愚の骨頂である。
命が多く失われ、悲しみと憎しみしか残りはしない。人は同じ過ちばかりを繰り返す。
何とも救いようのない生き物であるが、自衛の為に戦わねばならないことも事実。苦しい現実である。

私たちの日々の生活はどうであろうか。よく考えれば瑣末な事で、誰かと諍うことはないだろうか。
誰かを咎めることはないだろうか。自らの考えを妄信する余り、他者を否定し、自らの正しさに酔い痴れていないだろうか。
それは何とも視野が狭く狭量である。

人はそれぞれがそれぞれに正しい。自らの正しさは、他者からすれば異教の押し売りに等しく、なかなか急には受け入れられないものなのだ。
それ故に互いに歩み寄り、理解し合おうとする姿勢が肝要である。

まったく同じ人間が存在しないように、考え方も十人十色。
マイノリティーはマジョリティーの中に埋もれてしまう。しかし、どのような選択であろうと、自らが揺るぎない信念を持ち、人生において必要であるとするならば、私はマイノリティーを貫くべきだと思う。

ただ、人は一人では生きて行けない。だからこそ互いに正しさを認め合う必要があるのだ。
相手を屈服させることに意味は無い。互いに手を取り合うことにこそ意味が有る。
正しさの使い方を間違えてはいけない。争いが生まれれば、そこには正しさは無い。
その争いから良いものは決して生まれはしないからだ。

誠意とは、私欲を離れた正直な気持ちであるらしい。しかしながら自らの正しさの中に私欲の多い場合が人には多々ある。
誠意を人に尽くし、自らの正しさを押し付けず、相手を思い遣り認め合えば、争いは無くなるだろう。
私は自らが感銘を受けた言葉を忘れず、これから接する人々に、誠意を尽くして行こうと思う。


2024/2/13

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