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【プリズンライターズ】少年無期受刑者が考察する、更生とは何か

罪を犯した者が更生するとは、一体どの様な状態を指すのであろうか。犯罪を犯さなくなればそれでいいのだろうか。
それとも邪な思いさえ抱かない様な人間になればいいのだろうか。恐らく一般的には前者だろう。
しかし、我々は罪を犯した人間である以上、普通の人間ではない。一般的ではないのだ。

では、普通の人々と我々の何が大きく異なるのであろうか。
人それぞれ違うかもしれないが、一番はやはり自制心である様に私は思う。どの様な人であろうと、必ず道に外れたことを思う時はあるはずだ。
そこで自制することが出来る人こそ、普通の人である様に思えるが、その上で道に外れたことを思った自分を恥じ、自らを正せる人はとても素晴らしい。これが二流と一流の普通の人だろう。

我々はある意味に於いては正直者であり、尚且つとても真摯だ。それは何か。自らの欲望と感情に対してである。
それはまるで従者の様に寄り添い、影の様に離れない。それ程に欲と感情には忠実に従う。その代償の最たるものが今の下獄である。
何とも虚しく情けない話だ。

それでは何故こうなったのか。それは偏(ひとえ)に知足の心を持たず、次から次へと欲するからだ。
正しく働き、正しく求めるのは良い。モチベーションにもなる。
しかし、我々は辛抱我慢が出来ず、楽をして今すぐ欲しがってしまう上、努力をしない。だからこそ小さな事から自制心が少しずつ失われ、刺激が足りなくなり、大きな刺激を求める様になる。そして道を踏み外すのだ。

刑務所での暮らしは我々に何を気づかせ様としているのか。
これは私の勝手な見解ではあるが、それは普通の暮らしの中にある幸せや喜びだと思うのだ。
同じ様な単調な日々が繰り返される中で、時々は体育祭などのイベントがあり、映画やドラマが見られたり、集会や祝日にはお菓子が食べられる。
家族が居る者は繋がりを感じられるだろうし、友が居る者は優しさを新たに知るだろう。
こうして我々が大きな刺激を求めて麻痺していた心を、本来の状態へと戻してくれているのではないだろうか。

社会に居たとしても働く日々は続き、その中で許される刺激と楽しみを見つけて暮らさなければならない。
この中はその予行演習である。普通の人が感じている幸せや楽しみを、我々に再認識させているのだと私は思う。
だからこそ日々享受しているものには感謝をし、それを楽しむことで我々は普通の人へと戻っていく。
美味しい物を食べては喜び、良い映画を観ては感動し、イベントに参加しては皆と楽しむ。
そうした心のサプリメントを再確認して取り入れつつ、それで満足し、幸せを感じられる自分にしていくことが大切だ。

苦しむことだけが我々の償いではなく、普通の人として生きて行くことが償いの第一歩だと思う。
更生という字が示す様に、我々は「更に生きる」必要がある。生きること、普通の人間として生きることが、我々に求められているものなのだ。
自制心を育て、小さなことに気づき感謝し、細やかな幸せに満足が出来る。そうした人間になりたいと私も常々努力している。

人にとって大切なのは、「どう生きたか」ではなく、「どう生きるか」にある。
私の好きな言葉にも、「人多き 人の中にも 人ぞ無き 人となれ人 人となれ人」というものがあり、この言葉を思う度、私は今どれ程に人であれているかと自問自答するのだ。そしてこれからも自らに問い、答えを探し続けるのだろう。人である為に。

だからどうかこの文章を読んで下さる方々は、身近にある細やかな喜びや幸せを大切にして欲しい。
そして同囚の方々は、何かに文句を言う前にまずは感謝し、それを喜びに出来る人になって欲しい。刑務所は益々悪くなるかもしれない。だからこそ良心を養い、心豊かであれと願う。更生の為に……

2023年11月23日

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