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『トンネル』―行きし
この季節になるといつも思い出す。
私が大学3年生だったころ、バイトのみんなで行った肝試しのことを。
当時のバイト先で、男女六人で仲が良かった。
私、バンギャのハル、かわいい系のユミ、インテリのケン、野球好きのユウ、お調子者のサトシの六人で過ごすことが多かった。春には花見に行き、夏にはビアガーデン、秋はフットサル、冬はスノボに行くのが恒例。
それ以外にも、仕事終わりにはしょっちゅう飲みに行って、大学生らしいグループだった。
そんななか、ちょうど今くらいの初夏。バイト終わりにみんなで駅に向かって歩いているなかで、次の休みにどこに遊びに行くかという話になった。
「今までと違うことしようぜ」
ケンが言い出す。だいたい発案するのはケンが多い。みんなが楽しめるように、よく考えてくれているからかもしれない。
「違うことってなんやねん」
ハルが笑う。ハルは少し性格がキツく口もよろしくはないが、おもしろいやつでみんな好きだった。こういうとき、いつも茶々を入れてくれるにぎやかしだ。
続きを促すように私たちがケンを見ると、待ってましたと言わんばかりに少し得意げな表情で口を開いた。
「BBQとか、どうよ?」
「えー虫とかやばそう!」
真っ先にユウがそう言った。ガタイが良いわりに、グループのなかで一番ビビリなのだ。虫はもちろん、幽霊もゾンビも嫌い。医学部にいるくせに、血を見ると顔を青くする。
「ええけど、どこでやるん?」
スマホを操作しながらサトシが尋ねる。その画面では、すでに「BBQ 川原」が検索されていた。お調子者ではあるが、こういう仕事がはやい、切れ者なところがある。
「うーん、それはまだ考えてへんかったけど…なんかええとこある?」
「〇川んとこはどう?」
ユミが提案した。かわいらしく、ふんわりとした見た目とは裏腹に、意外と気が強くハキハキしていて、こうしてみんなが迷っているときほど具体的な案を出してくれる。
「ええやん。◯川んとこでみんなようやっとるし」
私がユミの意見に同意すると、サトシが「あー、あっこなあ」と言った。
「あっこ、車停めること遠いねんな。あっても高いし。」
どうしたもんかな、と皆が思っているうちに駅についてしまった。ちょうど女子と男子で行き先が逆なので、ここで分かれることになる。改札を通って、通路の分かれ目に差し掛かり、ケンが声をかけてきた。
「女子組どっか行きたいとことかあったらLINEしてや。俺らも考えとくし」
ケンの言葉に、ユウもサトシもうなずく。私たちも「わかったー」と手を振りながらそれに応え、ホームに続く階段を降りていった。
「行きたいとこって言われても、あたしら地方出身やし、正直場所とかようわからんよな」
電車に揺られながら、ハルが言う。
「そやねんなあ。そもそも出てくる候補が少ないっていう」
そういう私に、ユミも同意する。
「ほんまそれ。もう男子組が出してきた案に乗っかるのでもいい気がしてきた」
そうやって笑っていると、ちょうどグループLINEの通知が鳴った。
『BBQじゃなくてドライブに変更でもOK?涼しいとこ行こ!』
サトシからだった。おそらく、男子組で話し合っているうちにサトシが思いついたのだろう。
「…だって。どうする?」
私が二人を見遣ると、ハルとユミは呆れたように笑った。
「これ絶対ほかの二人にはまだ言ってへんくて、あたしらが『いいよ』って言ったらゴリ押しするやつやん」
「絶対そう。サトシならやるわ」
ですよねー、と苦笑する。でもまあ、私たちに他の案はないし、異論もない。あいつらがやばいところへ連れて行くようなこともないだろう。私たちは一様に『変更してOK』と返信した。
数分後、また通知がきた。
『ドライブに変更!行き先は内緒やけど、絶対涼しくなるで笑』
『俺は行きたくない…』
『いやお前は強制笑』
『(´;ω;`)』
男子組のメッセージを見て、なんとなく嫌な予感がした。ユウが嫌がっているということは、虫がいるかあるいは…
「ねえ、これ、もしかして肝だし的なとこ行く気かな」
ユミも同じことを思ったようで、私達に尋ねてくる。私はちらりとハルを見た。
以前、ハルから霊感があるという話を一度だけ聞いたことがある。というか、怪現象?のようなものにあい、私もそれを目の当たりにした。そんなことがあったので、ハルは嫌がるのではと思ったのだ。
「…肝試しなら、あたしはあんまり行きたくはないな…」
LINEの画面に視線を落としたまま、ハルはいつになく静かにそう言った。やっぱりそうか…。私はLINEの返信を打ち込む。
『肝試し?』
それに返信がきた。
『サトシが言い出してん(´;ω;`)みんな止めて』
『肝試しスポットでもあるけど、目的はその先やで!人おらんし、遊びやすいと思う』
『前行ったとき何もなかったし大丈夫やって笑』
三人で顔を見合わせる。どうしよっか、と心の声が聞こえる気がした。
「まあ…みんないるし、行ってもいいかなって私は思うけど、二人はどうする?」
ユミが口火を切ってくれた。私もみんながいるならいいかな、とは思うが、ハルのことを思うとすぐに応えられない。それを知ってか、ハルが先に口を開いた。
「…今回だけは行く。でもマジにやばかったら途中で帰るわ」
「じゃあ、私も行くよ」
それを聞いて、ユミが返信した。詳しい時間などが男子組から返信されてくる。
何もないといいけど…。私はなんとも言えないモヤモヤを抱えて、車窓の外の暗闇を眺めていた。
* * * * *
ドライブ当日。
私たち女子組は家が近いこともあり、三人で集まって男子組の迎えを待っていた。昼食の時間を少し過ぎたころ、約束の時間ちょうどにケンとサトシが車で迎えに来た。
だいたい少し遠出するときはいつも、ケンがレンタカーで来てくれる。ケンは運転、その横にはナビを兼ねてサトシが乗っている。
「お待たせー」
「さすがケン、時間ピッタ!」
「車ありがとねー」
「……」
私とハルは真ん中のシート、ユミは一番後ろのシートに乗り込んだ。隣に座るハルは、少し緊張しているのかいつもの元気はないように見える。口数も少ない。
本当にやばくならないように、気をつけてハルの様子を見ておこう。私が背中に手を添えると、ハルはぎこちなく微笑んだ。
最後に、若干遠い家のユウを迎えに行って、いざ出発だ。
「ねえ、結局今日どこ行くの?」
ユミが尋ねると、隣のユウが怯えながら答える。
「Kトンネルや。俺は嫌やって言ってんで」
「K?どこそれ」
首をかしげるユミと同様に、私とハルもその場所を知らなかった。助手席から振り返って、サトシがいたずらっぽく笑う。
「ここらへんで一番有名な心霊スポット!」
「やっぱり肝試しやんか!サトシが言い出してんやろどうせ」
私が呆れてそう言うと、苦笑しながらケンが少し庇うような口調で言った。
「そこは通り過ぎるだけやで。その先の川って、人おらんくてきれいやし、山ん中なから涼しいし、ええかなと思ってん。かんにんな」
「ビールがなかったら絶対こーへんかった…」
後ろの座席でユウがいじけている。恐怖にも勝る酒への愛に呆れるばかりだ。
まあ要するに、川床に行くと人が多すぎるし、川辺で酒でも飲んで涼もうということらしい。それ自体は良さそうだし、みんな飲むのは好きだから良い案だと思う。そこにサトシの悪ノリが加わった、ということだろう。
「本当に、危ないとこちゃうやんな…?」
ハルがか細い声で尋ねる。いつもと違う様子のハルを、サトシが茶化す。
「そんなピアスばりばりのいかつい見た目で、お化けのほうが逃げ出すさかい安心しーな」
「…なんかあったらマジでしばくで」
サトシを睨みつけるハルを宥めつつ、この調子なら大丈夫かな、なんて私は呑気に考えていた。
外の景色に、徐々に緑が多くなっていく。初夏だというのに、この土地では昼から夕方にかけてはじっとりと汗をかくほど暑い。
ケンが車の窓を全部開けて、風を取り込む。街中とは違い、山のひんやりした心地よい風が車内を通り抜けた。
そうして、ついに件の山に入り、道路を進んでいるとケンが「あれあれ」と指さした。みんなの視線が前方に集まる。
わずかな坂の先に、「K隧道」の看板が見えた。
「トンネルの前に信号があんねんけど、着いたときに青やったら霊に呼ばれてるらしいでー」
サトシがニヤニヤしながらこちらを振り返る。ありがちな話だな、とは思うものの、本当に信号が青だったらどうしようと考えてしまうのも人間の性というもの。後部座席の私たちは、固唾を飲んでトンネルの上の信号を見た。
…赤だ。
「よかったああ…」
ユウが脱力してシートにもたれかかる。私もユミも、ほっとため息を吐いた。ハルは息を詰めるようにして、トンネルの中を見つめている。
「ハル、大丈夫…?」
私が尋ねると、ハルは視線を前に据えたまま、ほとんど独り言のように言う。
「…ここだめだ…多すぎる…」
「ハル…?」
ハルは何も応えてはくれなかった。
信号が変わるのを待ちながら、なんとなく誰もしゃべらず、車内を沈黙が包んだ。木々の葉が風に揺れて、ざああ…と音を立てている。まるで波のようなその音が、なぜか私を不安にさせた。
木々に覆われて、トンネルの周りだけ薄暗く見える。そのせいで、勝手に怖いことを想像してしまっているのだろうか。
やがて信号が青に変わった。
車はゆっくりと動き出して、一車線の狭いトンネルのなかへ、飲み込まれていく。
車のエンジン音と、タイヤが地面を擦る音だけが響いている。ミニバンだとトンネルの幅ぎりぎりのため、車は原付きくらいのスピードで進んでいく。
トンネルを少し進んだところで、車内に入ってくる風が変わった。生ぬるく、絡みつくような淀んだ空気だ。
なんとなく息苦しい。
みんなどことなく息苦しさを感じているようで、誰も口を開かなかった。前の二人は緊張した様子で息を詰め、私とハルは手を握りあい、後ろの二人はきょろきょろと外を見回している。
このトンネルは、途中でゆるやかなカーブを描いているらしく、トンネルの出口は見えない。カーブの始まりに差し掛かったころ、ハルが突然言い出した。
「…窓閉めて」
「え?」
つぶやいたその声は小さく、聞き取れなかったのかケンが聞き返す。
「窓閉めて。お願い」
改めてハルが言う。その顔は蒼白で、体はぶるぶると震えている。
「ハルの言う通りにしてあげて」
私がそう言うと、サトシが苦しげな表情で振り返った。
「でもなんか空気悪いし、開けといたほうがよくね?」
「いいから閉めて!!!はやく!!!」
突然ハルが大きな声をあげた。両手で耳を塞いでぎゅっと目を閉じ、体を縮こまらせる。明らかにふつうでない様子を見て、ケンが車のすべての窓を閉めた。
あの生ぬるい風が閉め出され、私は少し安心した。息苦しさもマシになったようだ。後ろを見ると、ユウもユミもほっとしたような顔をしている。
「うわっ!」
不意に、ケンが声をあげた。
車が急停止する。ぐんっと揺れて、前の座席にぶつかった。
「ちょ、なんなん!?」
「ひ、ひとが…」
ケンが指差す先に、老人が立っていた。シワの刻まれた顔にうつろな目をして、薄汚れた服で、とぼとぼとこちらに歩いてきている。
そうか、このトンネル、歩行者も通るんだっけ…。
急に現実に引き戻されたような気分になった私たちは、乾いた笑いを漏らした。
「ちょっとケン、びっくりさせないでよ」
「ほんまやで。しっかりしてや」
「これは夜奢り確定やな」
口々に囃し立てて、わざと明るい雰囲気をつくろうとした。怖いという先入観でどうかしていただけだ、とみんな思いたかったのだと思う。
老人はとぼとぼと歩きながらこちらに近づいてくる。車は止めたままだ。後続の車もいないし、老人が通り過ぎてから動き出せばいい、とケンは考えていたのだろう。
いよいよ老人が車のすぐ横を通る。腰を曲げ、首をグラグラと揺らしながら歩いている。さきほどまでの緊張感の名残のせいか、全員がなんとなく息をひそめるように押し黙って、老人が通り過ぎるのを待った。
老人が車の後方を通り過ぎたそのとき、
バンッッ!!!!!!
「きゃあ!」
車のドアを、両側から強く叩いたような大きな音がした。反射的にユミとハルが悲鳴を上げる。みんな体が一瞬びくっと震えた。
ばっと後ろを振り返ったサトシの顔が、みるみる青ざめていく。私たちもつられて振り返り、目を疑った。
誰もいない。
トンネル内がカーブしているとは言え、ごくわずかだ。あんな一瞬で見失うとも思えない。万一隠れられるところがあったとしても、あの遅さでは、このわずかな時間で動けるはずもない。消えたのだとしか思えなかった。
「ケン、車出せ!はよ!」
サトシの焦った声に、ケンはすぐにアクセルを踏む。急発進の反動で、私たちは座席に押し付けられたようになった。
そのすぐあと、ユウとユミが悲鳴をあげた。
「はやく、はやく出よう!」
「やばいって!なんやあれ!!」
なにやら叫んでいる二人を顧みるひまもなく、車はトンネルを出た。そこから止まることなくケンは車を進める。
目的の川原まで来て、ようやく我に返ったように止まったときには、全員放心状態だった。
つづき