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今世でもしっかり生きてます。

『来世ではちゃんとします』なんて言葉は、
今世はちゃんとできてない証拠か。

今世はもうだらしな過ぎて、
今世では親不孝できなそうで、
今世では理想を叶えられなそうで。

人間みな何か拗らせてる。
けれど、
それなりに生きていればいい。
それだけで無問題。

30歳になって婚約相手もおらず、
過去の同級生たちは出産報告に精を出している。
みなさまよしなに王道に沿っているが、
当人は5人のセフレに欲を満たしてもらう日々。

ドラマ上の架空にしては、
時折見せる姿に哀愁を感じずにはいられない。

誰もが何かしら拗らせている。
セフレとの関係、
ヤリチンとヤリマンの事情、
実るはずのない風俗嬢への想い、
二次元BL以外受け入れられないアラサー、
処女以外許せないセカンド童貞、
男を弄ぶのが趣味のトランスジェンダー。

ベクトルさえ違えど、
拗らせていることの性根には、
何か欠陥がある。

けれど、
欠陥があることが「しっかり生きていない」ことではない。
欠陥があるからこそ、
その埋め合わせをするために、
何かに拗らせ続ける。

完全無欠がそれ以上変化を期待できないのならば、
大きな欠陥こそが変化の兆し。
満足していないからこそ、
少しでも幸福の天井を叩くために拗らせ続ける。

そう意味では、
今世でもめげずに拗らせているじゃないかと、
懸命にもがいているじゃないかと、
しっかり生きているじゃないかと思う。

現代においては、
「ちゃんとする」ことの定義をべき論者に任せられない。
「こうするべき」は少しずつなくなってきている。

『来世ではちゃんとします』のタイトル。
「今世では諦めてます」という哀愁の側に、
「ちゃんとできてないのは私もだよ」と、
観ている人々に向けた労いなのかもしれない。

欠陥だらけなりにそれを埋めようとするのが、
「しっかり生きる」ってことでいい気がする。
きっとそうに違いない。


もしそうだとするならば、
私だって「しっかり」生きている。

だからもう、
今世はこんな感じでいい。
いいですよね。

『来世ではちゃんとします』ということで。


テレビ東京 『来世ではちゃんとします』 https://www.tv-tokyo.co.jp/raisechan/ 

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