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【⑨神戸・大阪の章】福岡〜江田島(広島)、そして和歌山へ下道880kmドライブ

 2019年8月18日、午後4時40分ごろに姫路SAを発ち、旧友Hさんの住む、神戸市の西鈴蘭台へと車を走らせる。
 どういう経路を通ったのか、はっきり覚えていない。途中、国道2号線の別所SAを、「あ、こんなところにもSAがある!」と横目に見ながら通過した記憶があるので、おそらく、そのまま国道2号線姫路バイパス、加古川バイパスを無料で走れるところまで走って、有料になる「明石西インター」の手前で左折。
 あとはナビのいうとおりに、県道65号線、県道52号線を走って、西鈴蘭台に入ったと思う。
 姫路SAから神戸の西鈴蘭台まで走ること、約57km。

■経由地8 「関西スーパー レアール店」(兵庫県神戸市)

 西鈴蘭台に着いたのは、午後6時ごろだったろうか。
 さてどこに車を停めようかと思案していたら、近くに「関西スーパー」があり、そこに駐車場があるようだ。とりあえずスーパーに車を乗り入れ、係の人に「数時間ぐらい停めておくことになりそうなんですけど…」と、ありのままに話す。すると意外なことに、「ああ、その程度の時間であれば、ここに停めといて全然だいじょうぶですよ」と言われたので、安心した。
 関西スーパーに車を停めて、Hさんの住んでいるマンションまで歩いた。

 Hさんとは、わたしが香港のM海運にいたときに知り合った。
 Hさんは、神戸の物流会社、N運輸の社員で、われわれの事務所の向かいの事務所で仕事をしていた。仕事上直接協力関係はなかったのだけど、隣同士のよしみで、時々いっしょに食事に誘ったり誘われたりしていた。
 ある日、Hさんが、わたしの事務所に、いつもと少し違う真妙な表情で入って来られて、「わたしこのたび、N運輸を退社することにしました」と挨拶に来られた。退職して日本に帰国し、独立して物流会社を立ち上げるのだと。
 おたがいのメールアドレスや日本での連絡先(在宅でビジネスを展開するとのこと)を交換した。
 その後、わたしもM海運を退職して日本に帰ることを決めた。Hさんにも連絡をとり、「何かいっしょにお仕事できれば」と、そのチャンスをうかがった。
 2001年の2月に日本に帰国。わたしも国際物流の引合いが何件かあって、それを日本でやれないかと、いろいろ手をつくしてみたのだが、どうも、うまくつながらず。Hさんとの共同での物流ビジネス展開は、結局実現することなく、それから無為に年月が経っていった。
 2010年になると、わたしはマレーシアの義妹などのすすめでFacebookのアカウントを作った。ほどなく、HさんもFacebook友達になってくれて、わたしの投稿に「いいね」を頻繁にくれていた。
 ところが、2015年ごろになって、Hさんから「いいね」がつかなくなってしまった。「いいね」のつかない期間は、一年以上になっていた。わたしも家内も、「Hさん、何かあったのかな?」と心配した。
 心配になり、Facebookメッセンジャーでメッセージを送ってみた。返事はなかなか来なかったのだが、だいぶ月日のたったある日、やっとHさんから返事が来た。

 「お返事がたいへん遅くなって、ほんとにすみません。わたし、脳梗塞を患い、右半身不随になってしまいました。家内とも離婚しました。子供たちも離れていってしまいました。仕事も家族もバラバラになってしまいました。ほんま、情けないです」と。

 わたしは愕然とした。
 そして、脳梗塞は怖いなと思った。
 でも、脳梗塞で半身不随になったとはいえ、Hさんはまだ命永らえていると聞き、無事でいてくれて、ほんとによかったと安心した。

 2019年になって、わたしは、これまで細ぼそと続けていた、とあるサイドビジネスの取引先を訪問するため、和歌山まで行くことを決意した。幸い息子は江田島にいるし、ひさしぶりに、尾道のY君、神戸のHさんにも会って、顔向き合って話がしたくなった。そして、2019年の夏、その計画を実行することになったのだ。

 Hさんのマンションは、エレベータのない2階だった。ドアベルを鳴らすと、元気そうなHさんの声!
 ドアが開くと、まぎれもない、Hさんがいた!
 半身不随で躯も不自由で、また会話も以前のように流暢にはしゃべれなくなったHさんだったけど、ゆっくりとした口調で、かみしめるように話をしてくれた。香港での思い出話、香港から帰ってからのビジネスの話、ご家族の話など、話はつきなかった。
 Hさん宅には2時間ぐらいいたと思う。
 「われわれは明日、和歌山の取引先と会うことになってますので、そろそろ失礼します。神戸には、またかならず来ます。それまで、どうかお元気で!」と、Hさん宅を後にしたのは、暗くなった午後8時ごろだったと思う。
 神戸からは、三宮あたりから国道2号線にもどり、あとはしばらく阪神高速の下を走り、甲子園球場のある西宮、そして大阪市の天王寺あたりと、ずうっと、賑やかで混雑する道を走っていくこと約65km。2時間ほどかけて、次の経由地、「道の駅羽曳野」に着いたのは、午後10時を回ったころだった。

■経由地9: 「道の駅・羽曳野(はびきの)」(大阪府羽曳野市)

 夜でもけっこうたくさんの車が停まっている。昼間来たら、かなりにぎやかな道の駅なのだろうな。

 姫路SAから神戸(西鈴蘭台)を経て道の駅羽曳野までの行程;




 

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