名娼明月・お秋の足跡を訪ねる③木屋瀬(こやのせ)宿(福岡県北九州市八幡西区)
お秋の母、阿津満は、長旅の辛労から病気になり、小倉で亡くなってしまう。
お秋は、母を小倉で葬った後、七日七晩泣き暮らしていたが、自分には、まだ残された役目、夫金吾を捜し出さねばならないことを思い出す。そして「艱難も来たれ! 辛苦も来たれ!」と己を奮い立たせ、博多に向かって旅をつづける。
小倉から先、お秋は、長崎街道(小倉〜飯塚〜佐賀〜長崎を結ぶ街道)を、黒崎宿(くろさきじゅく)〜木屋瀬宿(こやのせじゅく)と進んで行ったものと推測する。
長崎街道については、下の「街道歩きの旅」のサイトに、マップが載っていたのを参照した。
黒崎宿から木屋瀬宿に行く途中に、「石坂の急坂」という、大名行列の殿様も籠から降りて歩いていたという、ちょっとした上り坂がある。その上り坂を上りきった頂上あたりに、「立場茶屋銀杏屋(たてばちゃやいちょうや)」という休憩所が残っている。
江戸時代の参勤交代の大名の「御休憩所」で、一般人は立寄れなかったらしい。
また、江戸時代に建てられた茶屋なので、お秋の歩いた天正年代には、まだ建ってなかったはず。
「石坂の急坂」。いまは石畳風の階段道になっているが、昔は普通の急な坂道だったようだ。
「立場茶屋銀杏屋」。中は無料で見学できる。わたしが訪問したときには、ちょうど休館日で入れなかった。
屋敷の横に大きなイチョウの木がある。
このイチョウの木にちなんで「銀杏屋」と名づけられたそうだ。
さらに国道211号線に沿って5kmほど南下していくと、木屋瀬宿にたどりつく。木屋瀬宿は、北九州市内の宿場町では、いちばん往時のたたずまいを残しているところだ。
長崎街道木屋瀬宿記念館。この写真は、去年(2020年)の5月11日に仕事で通過したときに撮影。新型肺炎の緊急事態宣言の真っ最中で、館は臨時閉館していた。
木屋瀬宿へは、筑豊電鉄「木屋瀬」駅から徒歩7〜8分。
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