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人間はなぜ誤りから逃れられないのか──――ハラリ最新刊『NEXUS』を読み解く(第5回)
はじめに
私たちは日々膨大な量の情報に取り囲まれています。SNSやニュースを見れば、ありとあらゆる主張や意見が飛び交い、その中には誤情報や陰謀論、極端な見解なども含まれます。こうした状況は、新技術や新メディアが登場するたびに繰り返されてきました。では、私たちはいかにして誤りから自由になれるのでしょうか。本当に「誤りを犯さない」情報源や仕組みを作れるのでしょうか。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『NEXUS』第4章では、「誤り」「自己修正」「宗教」「魔女狩り」「科学」といったトピックを縦横無尽に扱い、過去の歴史から現代に至るまで、人間がどのように誤りを認識し、それを克服しようとしてきたかを解き明かしています。
本記事では、その第4章の内容に寄り添いながら、以下の疑問を掘り下げていきます。
- なぜ人は「誤りなき権威」を求めるのか?
- 魔女狩りのように社会全体が誤りに陥ったとき、何が起こるのか?
- 科学はどのように誤りを修正する仕組みを確立したのか?
そして最終的には、「人間社会で誤りをゼロにすることは可能なのか? もし不可能ならば、どう誤りを扱うべきか?」という大きな問いへと結びつけたいと思います。
本記事全体を貫くワンメッセージは、「人間がつくるいかなる情報体系も完全無欠にはなりえず、それゆえ“誤りを前提とした自己修正メカニズム”が不可欠である」という点にあります。それでは、長い道のりにはなりますが、早速始めましょう。
1. 宗教と「誤りからの自由」の幻想
1.1 神の言葉とされる「聖典」というテクノロジー
「誤り」をいかに避けるか。多くの社会・文化において、この問いに対する答えの一つは「人知を超えた超越的権威にすがる」というものでした。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、一神教の伝統ではこれが顕著に表れます。
宗教においては、しばしば「聖典」が“神から直接与えられた完璧な言葉”とみなされます。実際、ユダヤ教のトーラー(モーセ五書)やキリスト教の旧約聖書・新約聖書、イスラム教のクルアーンなど、多くの宗教は「神の言葉」を書物という形で永遠に保存し、それこそが絶対的真理をもたらすと語ってきました。
しかし、「そもそもその書物を編集し、編纂(へんさん)し、確定したのは人間」であるという事実を見落としてはなりません。
旧約聖書が作られたプロセス
死海文書(BC2世紀〜AD1世紀):
ユダヤ教の一派が保管していたとされる900点以上の文書群。ここには今日の旧約聖書と大きく異なるバージョンや、後に「外典(アポクリファ)」とされた書物が多数含まれていた。
“正典”の確立:
ユダヤ教のラビたちが数世紀にわたり、どれを正典に含めるか議論。最終的にエノク書などは外され、「創世記」「出エジプト記」などからなる24巻(ユダヤ教の区分)が正典として固まった。
しかし、その過程はきわめて複雑で、いくつもの文書が「神の言葉」と認められたり退けられたりを繰り返す。
キリスト教の新約聖書
2世紀〜3世紀頃の状況:
「トマスによる福音書」「ペテロによる黙示録」「パウロ以外の使徒による手紙」など、多種多様な文書が乱立。どれを“神の啓示”とみなすかで激しい論争が起きた。
最終的な27文書のリスト:
4世紀末のヒッポ会議(393年)やカルタゴ会議(397年)を経て、「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」の4福音書、パウロ書簡13通、ヨハネの黙示録などが新約聖書として正式に確立。
ただし、地域や教派によっては異なる文書を加えたり、黙示録を外したりするケースもあった(アルメニア教会など)。
こうした編纂プロセスを見ると、聖典とは“神の意志”というよりも“人間の合議”の産物であったことがわかります。しかし時間が経つにつれ、この「合議による編集作業」は忘れられ、聖典は“超越的な権威”として振る舞うようになるのです。
1.2 自己修正システムが働きにくい宗教の構造
誤りを犯しやすい人間が編集した聖典を、「誤りなき神の言葉」と崇めてしまう──。ここには当然、論理的なほころびが生じやすいです。解釈や適用の仕方で問題が起こったとき、どう対処するか。
聖典を文字通り読んだ解釈と、
学識ある宗教指導者が重ねてきた伝統的解釈
はしばしば衝突します。ユダヤ教では、トーラー(モーセ五書)の解釈をめぐる議論が膨大に積み重なり、ラビの伝統(ミシュナやタルムード)が誕生しました。これは、「書かれた律法」を人間がどう理解・運用するかを延々と論じた成果物ですが、その膨大さゆえに新たな権威──「ラビ共同体」という解釈集団が形成されることになります。
すなわち、「誤りなき神の書」があるはずなのに、結局は人間の“解釈クラブ”による権威に頼らざるをえなくなる」という矛盾が生じました。これはカトリック教会にも同様に当てはまります。
カトリック教会では、最終的に「教皇は不可謬(ふかびゅう)である」という教義が確立され、教皇が ex cathedra(正式な教皇権威でもって)宣言する教義は誤りを含まないと主張されます。個々の司祭や信徒はともかく、教会制度全体は常に正しい、という建前になりました。これでは組織内部の自己修正システムが弱体化しやすいのは言うまでもありません。
2. 魔女狩り──「誤りの拡散」と情報テクノロジー
2.1 印刷革命が開いた「情報爆発」
宗教権威に疑問を呈する思想が盛り上がったきっかけの一つに、15世紀中頃からの印刷革命が挙げられます。ヨハネス・グーテンベルクが金属活字の量産技術を確立したことで、書物は劇的に生産コストが下がり、短期間に大量の情報がヨーロッパ各地へ流布されました。
実際、1454年から1500年までの約半世紀で、推定1,200万冊もの印刷本が出回ったとされ、同じ1,100万~1,200万冊の書物を写本で生み出すのには、それまでの1,000年(西暦400~1453年)かかっていた、という推計があります。
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印刷物が増えれば、当然「誤りやデマも爆発的に広まる」可能性が出てきます。人々が読書を通じて自分の頭で考えるようになる一方で、センセーショナルで根拠に乏しい情報も“売れる情報”として大衆の心を掴んでしまいがちです。
2.2 「魔女の槌」が煽った恐怖
印刷革命の負の側面を象徴するのが「魔女狩り」でした。中世ヨーロッパにも魔女に関する迷信はありましたが、10世紀の教会法「カノン・エピスコピ」では、魔女は単なる幻想であり、信じること自体が異端とされていたほど、当初は深刻視されていなかったのです。
しかし15世紀以降、「サタンと契約を結んだ魔女たちが世界規模の陰謀を企てている」という新説が神学者や地域の聖職者の間で広まり始めます。特に決定打となったのが1487年刊行の『魔女の槌(Malleus Maleficarum)』。
著者:ハインリヒ・クラーマー(ドイツ人のドミニコ会士)
内容の特徴:
魔女はサタンと性交渉し、人肉を食らい、子どもや男の性器を切り取って保管するなど、悪逆非道な行いをしている。
女性は男性よりも性欲が強いとされ、魔女の大半は女性である。
拷問によって自白を引き出し、処刑することで社会を浄化せよ。
このあまりに扇情的な内容が「印刷物としてベストセラー」になり、1500年までに8版、1520年までにさらに5版、17世紀までに合計29版も重版されます。
そして『魔女の槌』の普及によって、ヨーロッパ中に「魔女は本当にいる」「しかも大規模なネットワークを張り巡らせている」という疑心暗鬼が広まっていきました。
魔女狩りの被害
16〜17世紀をピークに、ヨーロッパ全体で4~5万人が処刑されたと推計。
ドイツ南部のバンベルクでは1625–1631年に約900人、同時期のヴュルツブルクでは約1,200人が犠牲。
中には幼い子どもや高齢者、聖職者までもが「サタンと交わった疑い」で拷問・火刑に処された。
同時代の記録として、ヴュルツブルクの司教区で3~4歳の子どもですら“悪魔崇拝”の容疑で逮捕されたケースなどが報告されるほど、社会全体がパニックに陥っていたことがうかがえます。
Q. 「そんな荒唐無稽なことを、なぜ大勢が信じたのか?」
これこそ、誤った情報が大量に流布される仕組みを象徴する事例です。人は「恐怖」や「好奇心」を煽られると、疑似科学や陰謀論に飛びつきやすくなります。結果として、印刷物が「真実の普及」を助長するどころか「偏見やデマの拡散」を加速させる側面が明確に現れたのです。
2.3 抑えられた「自己修正の芽」
本来であれば、ある程度の時間が経過すれば「さすがに荒唐無稽では?」と冷静な議論が起こりそうなものです。しかし実際には、「魔女がいる」と主張する側が圧倒的に有利でした。その理由は、次のようにまとめられます。
根拠が怪しくとも“恐怖”が勝つ
「魔女はいない」と主張する者は「魔女とグルである」とされる可能性が高い。疑いは雪だるま式に広がる。
拷問による自白が“証拠”になる
容疑者が嘘の自白をしても、それは「やはり魔女はいる」という確信を強める材料になる。
印刷と説教による扇動
聖職者や地方権力者が印刷物を武器に自説を広め、人々の恐怖と狂信を煽る。
こうした負のサイクルが回るとき、「自己修正」を試みる声はかき消されやすいのです。結果として、魔女狩りは何十年もの間、各地で繰り返され、膨大な犠牲者を出しました。
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