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初めまして、ぷりもえです。#0

初めまして。ぷりもえです。
この度、noteを新設して、「誰もが幸せに、誰よりも幸せに」と言う生き方を通しての活動や考えを発信していければなぁ、と思っています。
今回は、初めての投稿なので、自己紹介がてら、なぜぷりもえという人間ができたのか、について自由に書いていこうと思います(笑)

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ーそもそも「ぷりもえ」ってなんぞ?

大半の人に私は「ぷりもえ」と呼ばれています。(中には、「ぷり」と呼ぶ方も)
大抵、初対面で「初めまして、ぷりもえです。よろしくお願いします!」というと、当然相手の頭の中は「???」でいっぱいになります。

そりゃ、そうですよね(笑)

まず、「ぷりもえ」の“ぷり”は「プリンセス」の“ぷり”です。(ふざけてますよね)物心ついた時から、お姫様が大好きでして、幼稚園の将来の夢の欄には常に「お姫様」と書いていました。
決定的だったのが、年長の頃のお遊戯会の題材が『眠れる森の美女』であったこと。ヒロインは、マレフィセントに呪いをかけられた「オーロラ姫」でした。
当時から体を動かすことが大好きで、自分のワクワクすることに一直線だった私にとって、オーロラ姫との出会いは衝撃的なものでした。

オーロラ姫は、ディズニープリンセスの中でも、“待つ”プリンセスであり、他のアリエルやラプンツェルのように、自分の夢を自分で切り開いていくプリンセスとは違います。オーロラ姫は、王子様からの真実の愛のキスで呪いから目覚めるという典型的なプリンセスです。

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写真引用(http://blog.livedoor.jp/jean_0214/archives/36930712.html


自分を無理やり(恐れ多いけど)プリンセスに当てはめるとすれば、アリエルやラプンツェルのような自分で行動するタイプのプリンセス像に近いですが、オーロラ姫は私と全く対極にいる存在にあると感じ、とても可愛らしく、魅力的だと感じました。自分がオーロラ姫のような存在にはなれないからこそ、“憧れ”を抱いて、心を鷲掴みにされたのを今でも覚えています。

という感じで、幼稚園年長から小学校丸々はディズニープリンセスが大好きで育ったわけですが、中高時代は「人生の暗黒時代」を経験します。暗黒時代については、後ほど詳しく説明しますが、“好きなものを好きと言えない環境”が私にとってとても息苦しいなぁ、と感じていました。そこから、浪人生活を経て、大学生に入学するタイミングで、私は周囲から「ぷりもえ」と呼ばれるように(呼ばせるように?)なります(笑)

私が浪人時代に作ったTwitterのアカウント名が「ぷりんせすもえ」であったこと。自分が好きなものを好きと言えない環境になる前に、先に言ってしまおう、という考えでした。そして、春から同じ大学に入学する人たちが私のアカウントをフォローしてくれて、そういう人たちと直接お会いした時に、

「あ、“Twitterのプリンセス”だ!」

と言われました。これがきっかけで、最初のニックネームが「プリンセス」「ぷりもえ」「ぷり」になりました(笑)

ー「誰もが幸せに、誰よりも幸せに」の考えができるまで

「誰もが幸せに、誰よりも幸せに」

周りの人を幸せにして、自分も“もっと”幸せになる!
と言う生き方。まず大前提として、「不幸の上に幸せは成り立たない」ので、自分が一定幸せであること、があります。
(因みに、このキャッチコピーは、知るカフェで知り合った天才同期につけてもらいました。ありがとう!)

先ほど、中高時代が「人生の暗黒時代」であると話しました。

というのも、小学校までの私は、“周りが見えない自分大好き人間”だったので、そのままのノリで私立の中高一貫の中学校に進学して、見事大失敗…!というオチでした。

時々、気のおけない仲の友達もできたけど、
集団無視やら、陰口やら…信じていた友達がカースト上位の女の子たちに私の秘密をバラしてしまったりとか…
中高時代としてはよくある話ですよね(笑)
でも、私が中でも一番辛かったのが、(何度も言いますが)“好きなものを好きと言えない環境”でした。

「ディズニーが好きだ」と言おうものなら、ディズニーが好きな子に、「ONE PIECE(漫画)が好きだ」と言おうものなら、ONE PIECEが好きな子に、妬まれてしまう。人はだんだん成長するものですから、自分の中でもしかしたら「また無視される」というような、被害妄想もあったのかもしれませんが。

しかし、この後私は某予備校で大学受験浪人を1年間経験します。
浪人時代に名前をつけるなら、まさに「個性の復元期」。一緒の予備校の浪人仲間たちはそれぞれ自分の大きな目標に一直線に頑張る人たちで、私の目標も、好きなことも、性格も、否定することなく、受け入れてくれました。

そこで私は、今まで私の見ていた世界の狭さを知り、そして私の個性を受け入れてくれる場所があることを知りました。何より、そんな場所があるのがとても嬉しかった!

大学に入ってからは言うまでもなく、学年が上がるにつれて最高なものになりました!(楽しすぎて、留年していますが)
アカペラサークルの仲間も、2年生の11月から始めた学生運営のカフェ・知るカフェの仲間も。みんなみんな素敵で、たくさんの刺激をくれる人たちです。

そんな中、サークルの追いコンで、無意識に自分がやっていたことに気がつきます。それは後輩からの送別のこんな言葉でした。

「ぷりもえさんは、みんなの“居場所”をくれる人」

とても嬉しかった。思えば、自分のやりたいことができなかったり、居場所を探している人は放って置けなくて声をかけていた気がします。
いい人ぶっている、と感じる人もいるかもしれないけど、多分中高時代の暗黒時代から自分を重ねて、自分が苦しくなっていたのかもしれません。

その後輩の言葉から、「これはきっと自分の強みになる。」と思いました。

そこから自分の所属するコミュニティのイベント企画を進んでするようになり、私の企画するイベントに参加している人は“全員”楽しんで欲しいなぁと強く思うようになりました。

私の歴史が長くなってしまいましたが、
その中で、友達の誕生日を企画した時に、特定の誰かが本当に幸せになる姿を見ることで、その場にいた人たちも幸せになることを知りました。

私一人の力は小さくても、目の前の特定の誰かを幸せにすることで、その人がまた他の人を幸せにしていく。そんな“幸せの連鎖”を生み出せるような、“幸せの中心人物”になりたい。

私の中高時代のネガティブな経験と、特に浪人時代や大学時代で私の生活をキラキラさせてくれる素敵な人たちとの出会いが、今の私を「誰もが幸せに、誰よりも幸せに」と言う生き方を作ってくれました。

ー最後に

偉そうなことは何一つ言えない未熟者のですが、
自分の信念に基づいて、これからも個人的に活動したり、考えたことを発信したりできたらなぁと思っておりますので、よろしくお願いします〜!

「誰もが幸せに、誰よりも幸せに」

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

#初投稿
#誰もが幸せに誰よりも幸せに

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