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悲しいバレンタインデー
こんにちは。
見出しの写真は我が家のチワワの百菜花(もなか)です。これから、我が家に百菜花がやってきたいきさつをお話しますね。
2月14日はバレンタインデーでしたね。五年前の2月15日は、私の子宮癌(全摘)手術の日でした。
ところが五年前の2月13日に突然二番目の孫が一歳七ヶ月で亡くなったのでした。(私の手術は3月に延期に)
それ以来、2月13日は孫の命日になりました。
長女家族の家は大阪で、東京から大阪の娘の家に五年前の2月13日に駆けつけたとき、玄関にはAmazonの箱に入った私から長女の旦那くんへのチョコレートがあり、台所の棚には多分娘が用意したピンクのリボンのついたチョコレートの箱がありました。
まさかバレンタイン前日にこんな悲しい事が起きるなんて誰も想像しなかったんです。
翌日は、本当に悲しいバレンタインデー。
子どもを亡くした娘が、気がおかしくなりそうだったので明け方救急車を呼んだけど、娘は救急車を見て孫が亡くなった時がフラッシュバックして半狂乱になり、、、救急車に乗ることも出来ませんでした。
そんな状態の娘を残して一度癌の手術のために私は東京に戻りました。
亡くなった孫のお姉ちゃんがインフルエンザだったため、私の手術は3月2日に延期。
それで、私と夫と二女は再び大阪へ。解剖から戻った孫ちゃんの火葬をしました。
3月2日は自分の癌の手術だったけど、私の頭のなかは可愛い可愛い亡くなった孫のことでいっぱいで何も考えることが出来なかった。自分のことなんてどうでも良かった。
出来れば孫の代わりに自分が逝ってしまいたかった。お人形みたいに可愛く愛らしく自慢の孫でした。
今思うと、亡くなった孫のMちゃんがずっと私を守ってくれたような気がする。。。
毎日Mちゃんの写真を握りしめて泣いてばかりでした。
大阪の長女も精神的に不安定で、長女の旦那くんにしばらく東京に里帰りさせてもいいでしょうかという話も出たけれど、私も術後の感染症で熱が下がらず歩くことも出来ず、預かることも出来ないまま日々が過ぎていきました。
今、思い出してもほんとに辛い毎日でした。五年前の悲しいバレンタインデー。。
五年前の3月に手術をした私は、6月には、ヨロヨロ歩きながら孫のMちゃんの写真を握りしめて、チワワのブリーダーさんを訪ねてました。家にはチワワの男の子(桜麿)がいましたが、どうしてもどうしてもチワワの女の子が欲しかったのです。
Mちゃんの写真を握りしめて「この子みたいな子はいませんか。」って。
いま、我が家にいるチワワの百菜花(もなか)が、こうして我が家にやってきました(見出しの写真)。
なんだかわからないけど、私は自分が立ち直る方法がすぐにわかったの。
私の中ではチワワの百菜花(もなか)がMちゃんの生まれ変わりになりました。
そして、気がおかしくなるのではと心配した長女も翌年には三番目の赤ちゃんを産んで逞しく復活しました。
さすが親子。考えること、すること、なんとなく似ているね。
Mちゃんは天国にいってしまったけど、いつも身近に感じている。Mちゃんが私たちに残してくれたものは、ものすごく大きいです。
悲しい悲しいバレンタインデー。
今年も大阪の長女の旦那くんにチョコレートを送りました。
去年結婚して板橋区に住んでいる二女の旦那くんにもチョコレートを送りました。
「お母様、ありがとうございます」と義理の優しい息子たちからメールが。
私はいま、幸せ。
いろんなことがあったけど、今は幸せでMちゃんの代わりに死にたいとは思うことが出来なくなった。
まだまだ人生を楽しみたい。
私も娘たちも結構したたかなのかな。
いやいや、きっとMちゃんが空で見守ってくれているおかげだろう。
毎年バレンタインデーはMちゃんを思い出します。