This is very OSOROSIAN! 宴の痕

Здравствуйте(ズドラーストビッチェ)読者の皆様こんにちは。お読みいただきありがとうございます。今日はなんと13日の金正豚(`・ω・´)ゞそれでは、よろしくお願いします。

戦争というと、どうしても銃や刀や槍、そしてGR(グレネードランチャー 地雷発射装置、いわゆるバズーカ砲)や大砲に戦車といった、武器や火器のイメージが固定化しがちだがその「刀や大砲や戦車の設計図を書き始めた時兵站=準備の時戦争が始まった。ということを知らない人が多く感じる。

孫武も「戦争は準備で8割決まる」と2500年前に書いているんだけど、何故か認知されていない?孫武・戦争論・資本論が愛読書の筆者が変と言えば変なの。駄菓鹿氏!実はこれ国防を担う自衛隊の現場もそうだと退役将校から愚痴られているのが日常(´・ω・`)筆者の師匠でもある退役軍人の弟子である在日米軍・紅茶空軍・トンスル海兵隊は流石に兵站の重要性を熟知している

先の恐ロシアン1号・スターリン閣下の命によりハバロフスクキャンプ場から解放され、ノモンハン決勝戦に降臨した恐ロシアン2号・ジューコフ将軍だったが、残念ながら彼も「損耗を出さないで」という嘆願をしていたが、既に「見ろ人がゴミ(AAry で戦っていた赤軍の減速は出来なかった。

さらに帝國陸軍の斜め上に戦車の破壊力と防御性を高めるという大艦巨砲主義に感染済み!泥沼や沼沢で旋回性能にまさるチハ戦車の機動性で横から破壊されさらに囲碁での古典的(というか基本的な)戦術である、「斜め45度」からの撤退しながらの連射で、鉄屑となった戦車がチハの3倍萬(´・ω・`)

ウラジオストク極東戦勝記念館には基本無傷のT34やKVー1が展示してあるが、実際に初登場したノモンハンでは試作機という初期トラブルに加えて、機動性+旋回性+360度射程可能な帝國重工チハにより鉄屑に(´・ω・`)  赤くないが、通常の3倍戦う前から「きぇぇー(ケロロ軍曹の声

補足 日本棋院所属の謝依旻のような「人海損耗戦術」≒見ろ人が(AAryは21世紀に定着したもので、古典的・基本的には悪手と忌避されていた。 (名古屋共和国≒木曽川から西では未だ継続なうw@白壁会)孫武「損耗駄目」を遵守した結果?むしろ坂東武者特産地関東地方(筆者の坂東は浅間神社&大石寺から東)では「損耗は必要コスト」と井山名人の様に謝女士程ではないにせよ多少の人海損耗戦術は500年前に定着していることが確認される。

SIN∠斜め45度からの攻撃は囲碁発祥というのが歴史の共通認識だが、スポーツや武道・剣術や弓術(最初から殺る気満々)でもメッシ肥後薩摩示現流(剣道剣術の両横綱!)・日置流印西派・尾州竹林派(歩兵和弓戦想定)・武田流(小笠原流の影に隠れがちだが、小笠原流の中の師範がむしろ武田流・日置流の方が本来の姿と明言)矢の着弾力積は45度で最大になる➷

日本史の実例としては、平治の乱@京都市東山区六波羅蜜寺・鴨川の戦い。平重盛による体を張った捨て身のムーンウォークに引っ掛かり、鴨川の川原に密集して、得意の騎馬による機動戦を無効化されてしまった源義朝軍に、平清盛率いる高台の六波羅蜜寺から∠θ45度の矢の雨で、源氏一瞬で壊滅@愚管抄 フルーアーマー状態和弓による戦死者では日本記録

自衛隊総火演や在韓米軍の10式戦車・16式ストライカーの機動戦を複数回見る機会に恵まれたが、「45度での2砲・3砲交点」が基本だとアナウンスでも聞き、軍曹や将校からも鞭撻を受けた。3000年前の竹簡にも同じ内容の篆刻が確認される@台北市故宮博物館「牧野之戦

殷(正確には商)vs周・白荻連合軍の戦車戦でも、機動性重視の白荻(白い髪と碧眼から白人か?)の戦車隊の交点となった殷の戦車は、断=(車輪を折る)により司令頭が損壊⇒聞仲以外の歩兵隊が瓦解とある。


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