延々と

他人のことをとやかく言うのは、極力やめようと思っている。誤字脱字をわざわざ指摘するのも、仕事上必要なとき以外はしない。


だが、どうしても気になる間違いがある。「延々と」のはずが、「永遠と」と書かれているときだ。

延々と続く話。延々と続く説教。

と書くべきところを、「永遠と」と書く人が、結構いる。「永遠」であるかのように感じるからなのだろう。

なんでこんなに気になるのか。

理由は、いくつかある。

といっても、文法上の理屈については、すでにたくさんの記事が世の中にあふれているので、そちらを読んで勉強したい人はすればよい、と思う。
私が最も気になるのは、この「延々と」が若干批判的な文脈で使われること、しかも見識の高そうな雰囲気を漂わせる著者によって使われることが多いことである。

素敵記事を書くのなら、そして他人を批判するなら、自身も細心の注意を払うのが礼儀ではないか。
批判をするのは、おおいに結構である。批判なくして世の中に対話は生まれない。批判を止めるのは、民主的でない。でも、敬意をもって批判するためには、せめてそんなことばくらいは、正確に使ってほしいと思ってしまうのだ。

このことは、政治的には正しくない。
どんな言い間違い、書き間違いをしようと、人を批判する権利は、誰にでもある。

わかっているのに、「永遠と」を見かけると、がっかりするのである。

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