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【独立・起業のリアル】<序の章 No.21>私の起業の軌跡 三、共同経営の難しさ
私がこの共同経営で始めた印刷会社から身を引くことを決意したのは、経営が軌道に乗ってきた頃、その経営パートナーが会社の費用で、荷物を運搬するための商用車ではなく自分用の通勤のための乗用車を購入したのが理由の一つでした。
彼は後方支援ポジションで、外注関係の対処の専任として昔の同業者仲間の仕事を中心に下請け業務をしておりました。営業専門職の私は、完成した印刷物をタクシーで運んだり、近隣のお得意先には自転車で運んだりして大変な思いをしておりましたから、私は車を購入するのであれば運搬用のライトバン(商用車)を買うものだとまったく疑いもしなかったのです。
私はこのことで二人の経営に対する意識の差を、この出来事で思い知らされることになりました。荷物を運ぶ大変さが身にしみている私に対して、なんらことわりもなく自分の通勤のための、いわば私用の乗用車を買うとは何たることだろう、仕事を確保し、その納品までに汗を流すパートナーの大変さを理解せず、自ら「率先垂範」すべき社長の、経営の何たるかをまったく分かっていない行為に、私は強い憤りを覚えました。
またある夏の頃、彼は社員より早く一週間の休暇を取って、家族を連れて郷里の山形県に帰省したことがありました。その郷里から届いた彼の葉書は、「皆さんが一生懸命やってくれるように祈っています」などという、まったく経営者らしからぬ一行で締めくくられておりました。
パートナーや社員たちを働かせて、本人が「故郷に錦を飾る」ごとき態度、社長が真っ先に休暇を取りのんびりするなど、経営とはそんな甘い考えではできないはずだと思いました。「先憂後楽」の志がなくて何が経営者か、と私の憤りは増幅していきました。
私たち二人は経営の方向性や姿勢が完全に違っておりました。「公私の区別」ができない、「率先垂範」の意識も違う、社長の仕事とは何かをまったく分かっていない、いわばビジョンなき印刷屋に、私は自分から決別する覚悟を決めました。