変なおもちゃ
今日は息子達とトイザらスへ。
そこで祖母におねだりして買っていたおもちゃがとてつもなく変だ。
卵のような入れ物に入った、つぶつぶの玉たち。納豆のように糸を引いてくっついている。
パッケージには知育玩具とあるが、はたしてこれは知育玩具なのか・・?
知育玩具と書けば、親が欲しがると思っている心理を突かれている気がする・・。その通りなのだが。
様々な形になるらしいが、触っている間に1mmくらいの小さなつぶつぶが手に2、3個くっついている。
これは家で使用したら、大惨事になるのではないか?!
トイザらスはよくこんなものを売っているな、と慄いた。
名前を忘れたのだが、誰か知っている人いたら教えてください。
(しかしまぁ、そのパッケージがとにかく開けにくかった。海外製のおもちゃは底がしれない・・。)
ティシャツが好き
最近、ティシャツはよれよれに見えて、だらしないか?と嫌厭していたが、久しぶりにティシャツを着てみると、やっぱり、好きだ!と思い直した。
しかも昔から着ている好きな柄のよれよれのティシャツが大好きである。
こうなると、自分の好きな服を着るか、他人にだらしない人と見られるかのせめぎ合いになる。
どちらをとるべきであろうか。
最低限、重要な人様との用事があるときはちゃんとして、普段は好きな格好でよいか。そう、思おう。
やりたいこと
頭の中だけで明日やりたいことを考えていると、とてもたくさんあってとてもできないような気がするが、意外と書き出してみるとそうでもないことがある。
前日の夜にカレンダーに明日したいことを書いてみると、自分のために今日していたほうがよいこと、明日することが見えてくる。これはしばらく日課にしてもいいなと思えた。
noteの効果
noteを書くようになって色々な人が書いているものを読むようになったが、これはいいものだと思った。
他者の思考を読むこともできるのはそうなのだが、若い、学生と思われる人の文章を読むと、若い時に置いてきた感覚を、思い出すことができる。
今も、若い人たちはあの世界にいるのか、とか弱かった自分のことも思い出す。
おとなになるにつれて、たくさん傷ついて恥をかいて忘れてきてしまった、そのときは当たり前にあった感傷や悩みを色鮮やかに思い出す。
時代が変わったのではなく、自分が変わったから、傷に強くなったのだった。
子育てをするにあたって、子供の弱い気持ちを、私はきっと忘れてしまっている。
この場所で、たくさんの人の気持ちを知ることで、忘れていたものをもう一度思い出すことができるのだと知る。