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ただ愛されかった。それだけだった。

 母の愛人とラブホに入ったのは母の誕生日の日、忘れもしない2月27日、私はまだ13才の少女だった。「本当にいいの?」と、倉田は言った。
ただ私は頷いた。
 痛いだけの初体験。
次からは倉田が毎日のように中学校の校門前に車で迎えに来るようになった。
母に露見するのにそう日にちはかからなかった。

母はお前が悪いと私だけを責めた。今思えば、愛人を横取りした憎い女だったのだから、無理もない。
 私だけを見てくれる人が欲しかった。ただそれだけだった。体を差し出せば、愛してもらえると思っていた。

 私がおかしくなったのは、まず父が事故で急死して、祖母が叔父の家に行ってしまい、広い家の中に1人ぼっちになってしまった頃、遠距離通学していた私には友達もいない。唯一の心の支えは犬のチャコだけだった。
その犬のチャコがお腹が大きくなって、結婚したての姉が同じ時期に妊娠したので縁起が悪いという理由で、私が学校に行っている間に母が勝手に捨ててしまったことで母を憎んだ。
その頃からだ。母は食堂を経営していて、売上金の隠し場所を知っていた私は、こっそり持ち出しては、友達欲しさにお金をあげたり、欲しいものを買いまくり。
それもすぐに発覚、私は身も心も満たされないまま、中学生となった。急激に胸が膨らみ生理も始まり私は、もう大人だと勘違いしていた。
その頃、倉田から養女の話が持ち上がっていた。勿論、私の知らなないところで。

 姉が出産して、倉田も一緒にお祝いに行ったところ、羨ましそうな倉田の顔を見て私はふと倉田の子供を産んであげようかと思い始めていた。
そうすれば、私は愛してもらえると思った。




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