「かけ声」って必要なの?
剣道では、試合でも稽古でも「かけ声」すごいですよね。それぞれの人それぞれに特徴があって、普通よく文字として使われるのは「ヤーッ!」です。初心者向け教本ではだいたいこれですね。なぜなのか私は理由は知らないです。でも、実際の試合や稽古では「ヤーッ」と聞こえる人は少なくて、「ほれーっ!」「ウリャー!」「キェーイ!」「オシャー!」「〇%#*$」もう文字にすらできないかけ声を使う人もいます。20年前ですが私が所属していた道場には「アレヤラソレヤラ メンダホラー」なんて言う人もいました(笑)
また、かけ声とともに、打突したときには「打突部位」を発声しますよね。ところが「メン」とシンプルなものよりは「オメーン」「メンター」とか「メン」の前後に何かしらくっついてたり、伸ばしたりする人が多いように。小手では「オコテオコテオコテダー」みたいに連呼する人もいたり。だいたい初心者はシンプルで、経験年数が長くなるほど個性的になる、というのがなんとなくわかりますよね。
ところで、剣道人なら当たり前のように使う「かけ声」や「打突部位の発声」ですが、剣道を行う上で不可欠なことなのでしょうか。
私はそうではない、つまり、「かけ声」や「打突部位の発声」は必須ではない、と思っています。
実は、試合ルールにその規定がないことをご存じでしょうか。全日本剣道連盟(以下全剣連)試合審判規則第12条では「有効打突」を次のように規定しています。
「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。」
この文章に「声」の表記はどこにもありません。「気勢」を「声」と解釈する人もいますが、国語辞典を調べても「意気込んだ気持ち、いきおい」とあるだけで「声」の意味は見当たりません。
私の考えですが、「かけ声」はあくまでも「気勢を表現するための一つの手段」だということです。声というより、むしろ、相手を圧倒するような「素速い寄せや引き上げ」「躍動感ある体使い」「エネルギッシュな印象」とかの方が意味が近いのではないかと思っています。もし「気勢=声」とするなら、声帯をこわした人は声が出ないので一生一本がとれない、ということになるでしょう。ちょっと極端な例ですみません。
さらに、「メーン」とか「ドウ」のような打突部位の発声は、ここを打ちましたと「宣言」するためのものでは、と思っています。私個人の考えです。
いずれにしても、「気勢」を語り出すと「抽象的・観念的」な議論に発展し、それが奥深いと思う人、興味ないという人、受け止め方もさまざまなんです。でも私はこの議論大好きなんです。