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習い事は小3以降でもいいじゃない。あなたはあなたの機嫌をとろう。


子どものうちは何もない自由な時間こそ与えたい。

わたしの中で習い事は小3くらいを始める時期の目安にしている。

小学校へ上がった途端、遊び中心だった幼児の生活から、一気にお勉強中心の生活になる。(幼稚園の種類にもよるとは思う)

繊細さん気質のある長男(最近そう感じている)は、1日中森の中で好きなことをして遊ぶようちえんに3年通った。
そして地元の公立小学校へ入学。
入学したての頃「学校どう?」と聞いたら
「ずっと座っておらないかん‥」と深刻そうな顔で言った。

子どもにとって1年生はとても大変な1年だと認識している。
初めてのことばかりが続く。
1年通してやってみて、2年目の2年生は少し見通しをもって学校生活を送れるのではないかと感じている。
1,2年生は下校も早めだから、帰ってきたら家でゆっくり過ごしてほしい。
宿題に取り組むにしても、休んだり遊んだりしてからでも間に合う時間のゆとりを持たせてやりたい。


何もない無駄な時間。
大人も必要じゃないですか。
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、の毎日は疲れる。
時間とタスクに追われると息が詰まる。
今朝は仕事がお休みで用事までの時間、コーヒー淹れながら
あ~幸せって思った。
この時間、大切。心が落ち着く。
ぎゅうぎゅうにしないようにしないと。
大人も子どもも。そう思う。

大人は先を見通すことができるから、ホッとする時間が少しでもあれば、その日その日を何とかやっていけるのかもしれない。
一息いれたら午後からは頑張ろう、とか
土日で休んでリフレッシュしたらまた平日やっていこう、とか。


一方子どもは、今を生きる生きもので段取りとは無縁だし、小さい子はそもそも曜日感覚もはっきりしていない。
子どもに段取りの感覚がないから、大人は何かにつけてイライラする。


だからもしかしたら子どもは大人以上に
ホッとする時間やボ~っとする時間、
何も決められてなくて何もしなくていい時間、
余白の時間がたっぷり必要なのではないか

そんな風に思える。

学校+αの学びは、身体もしっかりしてきて、生活に余裕が出てくる3年生以降が適しているのでは?というのが持論だ。
これは誰かのとかは一切なく、自分の経験からくる戯言である。
一般の感覚からはかけ離れていると自覚しているから、へ~変わってんな、と適当に読み流してほしい。


本人がやってみたいこと、得意そうなことを伸ばす。
(そのくらいになると大体その子の人となりが分かってくる)
親の気持ちもあるけれど、本人の気持ちを一番に考えたい。
「やりたくない」ことは「やらせない」
これがモットー。

当たり前のようだが、意外とそうではない親が多いように感じる。
習い事には、親にとっては大切なお金と、それにまつわる送迎や連絡や調整、場合によってはそこでの親同士の関係まで、色んなものがくっついてくる。
子どもがやりたいことでないのなら、わたしはそんなことに労力は使いたくない。

子どもが好きでないことや、嫌がっているのに習わせ続けることにはとても違和感を感じる。

「小さいうちに色んな経験を」それは大切なことだと思うけれど、特に幼少期は、親との何気ない時間の方がずっとずっと大切な気がしている。
それに子どもは遊びの天才だ。
何かをやらせなくても、ずっと遊び続けられる能力を備えている。


幼少期から高校生までずっとピアノを習っていたのに、大人になってから一度も弾いていない、という人に出会ったことがある。
親にやらされてとても嫌だった、と。
それだけ続けていれば技術は相当なものだと思うけれど、
本人が好きで楽しめなければその子にとっては何にもならない。
むしろ傷をつくってしまっているじゃないか…
そんなことだって起こり得るのだ。

何が言いたいって、単にわたしには
大抵の習い事は早期教育でビジネスライクに見えて気にくわないのもある。

習い事では、子どもの心身の成長を一緒に見守ってくれる先生に出会わせたいし
学校以外の居場所だったり、学区外のお友達ができることで子どもの世界が少し広がったり、
そういうところは良いことだと思う。

だがしかし、親のわたしたちの心の中には、子どもに何かさせてないと落ち着かない、そんな気持ちがないだろうか?
そしてその心を弄ぶかのように、世の中にはたくさんの習い事ビジネスが転がっている。早いうちに、〇歳までに、〇〇の能力が身につけられる!!


わたしも、もちろんそんな思いに心を占拠されたことがある。
長男が小3,4年の頃、家でひたすらダラダラ過ごす姿に、毎日イライラしていた。

あれしてみたら?これしたら?色々口うるさく言っていた。
長男は「No」の一点張りだった。


その時、自問したのだ。
じゃあ、わたしは彼が、そして私自身も、どうであれば満足するのか?




わたしは、私自身の心が喜ぶことをすればいいし、彼には幸せであってほしい。
彼は今は家でゆっくり過ごしたいんだな、
そう思った。
彼が親からは見えない学校という世界で、毎日頑張っていることも知っている。
だから、わたしは「何かをやらせる」ことを手放した。


5年生でスラムダンクにハマった彼は、自分からやりたいと、バスケを始めた。家で自主練もするようになり、1年半でとても上達した。今年は、長年チームにいる周りの仲間を抜いて選抜メンバーに選ばれるほどに成長した。
子どものやりたい気持ちが沸き上がった時には、全力で応援する存在でありたい。

ちなみにスイミングも小学生になってから始めるとあっという間に4泳法を身につけてしまう。段階を踏んで進むようにできているので、2年はかかったが、次女は美しい泳ぎを楽しみながら習得した。省エネ大賞もの。

親になると、子どものことで忙しく、自分の時間を確保することが一番難しかったりする。けれど、親は自分の機嫌を一番にとらないといけない
それは本当に、何としてでも、何とかしないといけないこと。

使えるカードを駆使して、自分が自分に戻れる場所をつくろう。
日曜日の午前中、家で一人になりたい とか
夜、30分ドライブしたい とか
子どもがお昼寝の間に、温かいコーヒーを飲みたい とか
大したことでなくていい。
やらなきゃいけないことは、一旦置いておいて、
自分が心から満足することをしよう。

最近のわたしがしていることは、お風呂上りにボディクリームをぬること。
贅沢でしょ。
たった5分ほどの大したことではないけれど、
わたしにとっては自分を労わる時間を自分に与えられたことに、
幸せな気持ちになれるのだ。

あなたが幸せなことが何より大切だ。
あなたが苦しまないことが子どもも苦しまないことだ。
自分の心を満たす行いを積み重ねよう。
そしてそれを子どもにも許そう。








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