BEAMSを退職して20年、今は地方で4児の母が思いにふける夜
昨夜ネット上でわたしが新卒で就職した会社の社長が退任のニュース。
地方の国立大学教育学部を卒業し、上京してアパレル業界へ。たった3年ほどだったが、その後転々と流れるように生きるわたしにとって、正社員として働いたのはこの時だけだった。
いやもう、自分でもびっくりな職歴である。キャリアウーマンに憧れていたはずなんだが。
時は就職氷河期で、同級生で教員現役合格者は1人だった。
友人たちは非正規の講師として働きながら、翌年以降の採用試験を受け教師になっていった。現在、仲間うちで早い人は教頭になっているような年代だ。(今年赴任してきた子どもの小学校の教頭が大学の同級生で20数年ぶりの再会!)
教員になるのがそんなに大変なら、いいや、とわたしは早々に教師になるのを諦め、一般企業への就職活動をすることに。
大学時代で頑張ったことと言えば、マクドナルドでのアルバイト。友人に誘われ軽い気持ちで始めたが、シフト希望が調整しやすかったり、社員さんとの出会いも良かったりで、2つの店舗でお世話になった。接客業が好きで得意だし、自分には向いていると思った。
おしゃれするのも大好き。幼い頃は自宅の衣裳部屋で、母や姉の服を1日に何回も着替えては遊んでいた。母のパンプスを倉庫から引っ張り出してあれこれ履くのも好きだった。ある日いつものようにヒールで遊んでいて、庭で転び石に頭をぶつけ、左眉の部分を3針縫った。今も毛は生えてこない。
大学生になり制服や校則から解放され、自分の好きな格好で毎日過ごせることがとにかく嬉しかった。心に羽がはえたように、軽やかで弾んだ気持ちが今でも蘇る。毎日髪型、メイク、服装、鞄や小物、アクセサリーと、頭からつま先までトータルコーディネートを全力で楽しんでいた。バイト代は即、服飾代か、当時の彼が東京に住んでいたので上京資金にして、東京へ遊びに行ってはお店巡りをしていた。
人生無駄だらけなくせに、やたら合理的に考える癖があり(すごい矛盾してるわたしそのもの~笑)「本当に働きたい場所(都内勤務)」だけに絞って就職活動をした。
その結果、エントリーしたのは「無印良品」と「BEAMS」の2社のみだ。
無印良品のペーパー試験は難しく全然できなかったし、即不合格。んでも、会社説明会担当の男性がやたら上から目線だったことが気にくわず、「あんな会社落ちて良かったわ」と負け惜しみをしていた。当時でも大きな会社だったが、その後のMUJIは不動の地位を得ている。かくいうわたしだって昔も今も生活雑貨全般めちゃくちゃお世話になっている。東京の電車内で基礎化粧品の動画広告が流れていたのはびっくり。広告費すごそう。
BEAMSの書類審査には全身写真が必要で、カメラ好きの友人に近所の公園で撮ってもらった。写ルンですだったかもしれない。書類はギッリギリの速達で出した。何が良かったか運よく面接までこぎつけた。ものすごい緊張の中、銀座に初めて出向くと、明らかにBEAMSの面接であろう、街に似つかわしくない若者たちがウロウロしていた。なんかみんなめっちゃインパクトある格好で、面食うが顔には出さない。わたしはいつも通り、ボーダーのTシャツにGパン、ハイカットのオールスター。ピアス、ネックレス、ブレスレットと指輪もいつものシンプルなもの。ただひとつひとつ、丁寧にこだわって選んでいた。面接には「自分を表現できる格好で」と書いてあった。敢えてのいつも通りで、わたしは臨んだ。
採用の連絡をもらったのは、結果連絡の日付の夜8時だった。多分、最後の最後、滑り込みの1人ではないかと思っている。「連絡が遅くなって申し訳ない」と何度も伝えてくれた。遅いのなんか全然気にもならない。天に舞い上がるほど、嬉しかった。あの時の興奮は忘れられない。憧れのお店、こんな地方からその会社に入社できるなんて。
企業理念は現在と少し違って「ワクワクすること」がキーワードになっていた。当時の有名なショッパーにも「basic&exciting」と書いてあった。
それは、今のわたしとずっと繋がっている。ワクワクすることがわたしの生きる原動力だ。良い会社、自分の感覚にマッチした会社に巡り合えていてシンプルにすごいと思う。
たった3年ほどの就労期間だったが、接客サービスや服飾の基本を教わったし、若かったわたしにやりがいのある仕事をたくさん与えてくれた。明るい未来も見えた。ただすごく背伸びして頑張っていたし、少し忙しすぎた。東京を離れてカナダへ移住することを決め、退職した。もっとやれた、もっと頑張ればよかった、と何度も何度も思うことがあったけれど、当時は暮らすことがいっぱいいっぱいだった。前向きな退職に見せて逃げたかった気持ちは否定できない。
入社半年後に異動し新店舗オープニングスタッフとなった。はちゃめちゃに忙しかったのだが、そこで出会った人たちとの関係が今でも続いている。わたしの大切な宝物のひとつだ。今の田舎暮らしな生活とはかけ離れ、信じられないような華やかな世界に確かにわたしがいた証拠。しょっちゅうは会えないけれど、一気に時間が戻って一緒に笑い合える。ありがたいことだ。
この夏、かなり久々に集まって夜を過ごした。写真や動画をたくさん撮って共有してくれた。驚いた。昔のままの表情で笑うわたし。こんな顔、最近してたっけ?
妻でも母でもない、ただ自分を生きていたわたし。
ただの自分に戻れた時間。
この夏の一夜は数時間なんだけれど、今年の私的トップニュースに入る鮮烈な夜だった。
きっと少しずつ忘れていってしまうだろうけど、忘れたくない。
都会の雑踏の中にある1つのドラマ。
ネットニュースの記事で、変わらぬ社長の素敵な笑顔の写真を見て書きたくなったので、勢いそのまま書いた。
上滑りしかしていない元社員にとってはやっぱり輝いている場所。
1つの大きな時代を創られたと思うし、これからもまだ続いていく。
そこに少しでも共にいられたことを誇らしく思っている。
行く先に幸あれ。
新しい光に向かって。