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『氷川丸』で色々と思い出す。
社会人3年目のゴールデンウィークに独りで東京に遊びに出かけたことを思い出す。
原宿でたくさん服を買い込んで、(大阪出身なのに)生まれも育ちも東京ぶりながら、意味も無く竹下通りを徘徊するのが、ムダに愉しかった。
造船業に進まなくても良かったから、東京に脱出して、ここで独りで生きる選択肢も考えれば良かった・・・。
と歩きながら、ふと思ったりもした。
『氷川丸』にて
旅行2日目に横浜に足を運んだ。
幼い頃に夢中になった『あぶない刑事』シリーズの舞台となった、あの横浜に一度は絶対行ってみたかった。
(幼稚園で『あぶない刑事』に夢中になるのも如何なモノでしょうか😅)
仕事柄(もちろん個人的趣味も含め)山下公園の『氷川丸』は外せない。
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「やっぱり、意外と小さいな・・・」
「こんな大きさの貨客船で北太平洋を横断したのか・・・」
と、思いもよらず静かな感慨にふけった。
○.総トン数・・・11,622t
○.全長 ・・・163.3m
○.幅 ・・・20.1m
○.速力 ・・・18.5knot(最大)・17knot(巡航)
○.旅客定員・・・76名(1等)・69名(tourist)・186名(3等)
○.同型船 ・・・『日枝丸』『平安丸』
今の日本では、彼女より大きなカーフェリーがいっぱい就航している。
クルマをたくさん積むという特殊な事情はあるが、旅客定員においても、氷川丸の比ではないくらい、たくさんの乗客を乗せるので、戦前と現在の海運事情との間には、隔世の感がある。
それでも、この時代においては、彼女くらいの規模でも十分に大型船として胸を張って良いスペックだったと思う。
もちろん、当時の世界交通における花形は、アメリカと欧州を結ぶ北大西洋航路と、そこを往復する各国の巨大豪華客船群であるが、彼女たちは完全に別格である。
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素直に言って・・・、
設備面だけに限って言えば、現代のカーフェリーの方がよほど豪華で、カユいところまで手の届いた施設も備わっている。
(特定のグレード以上における)全客室にユニットバスが装備され、大浴場にゲームコーナー、果てはドッグランまで供えたフェリーもある。
そういった設備は、『氷川丸』の時代には無い。
それに、実際乗船して歩き回ってみると、本当に狭い。
これで2~3週間太平洋を横断するのかと思うと、さすがに辛い😅
(当然、この時代に“スマホ”なんて便利なモノはないし、何より電波が・・・)
一等特別室ですらも「結構、狭いな・・・😐」というレベル。
通常の一等キャビンには洗面台しかなく、風呂とトイレは交代で使用する。もちろん、大浴場なんてない。
(ただ戦前においては、これでも十分に豪華なレベルだった)
そうそう・・・、
ホームページからバーチャルツアーが気軽に出来る。
(便利でエエ時代になったなあ😎)
空間の広さだけでいえば、新日本海フェリーの巨大フェリー群や『さんふらわあ』のほうがよほど勝っている。
もっとも・・・、
『氷川丸』級にとって、最も大切だったのは乗客以上にシルク。
”シルク”とは、平たく言えば『絹』のこと。シ○ク姉さんのことではない。
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ブリッジと煙突との間が不自然に凹んでいるように見えます。
この凹んだ範囲こそが、シルクを積みこむための区画。
一番波をかぶりにくい安全な場所です。
戦前日本の最も重要な輸出品の一つが、シルクだった。
第一次世界大戦後、活況を呈するアメリカでシルクの需要がどんどん高まると、それに応える必要が出てくる。
シルクの取引は主に東北部の大都市シカゴで行われるが、日本から同地への最短ルートが、日本~シアトル航路を経てグレートノーザン鉄道というコースだった。
(飛行機での海外旅行など、まだまだ先の話)
『氷川丸』級3隻の建造は、そんな時代の要請に応えたものでもあった。
時代背景についてはさておき、海外とのほぼ唯一の連絡手段である客船の、とりわけ一等の内装は豪華で洗練されたものが多い。
ここで等級別の、おおまかな比較をしてみる。
○.一等(キャビン クラス)
最も豪華なクラス。当然、運賃も高額。
客単価が高い代わりに、利用客が少ない。下手すると赤字。
○.二等(ツーリスト クラス)
名前から連想される通り、フツーのクラス。我々一般ピーが利用。
それなりのサービスを受けようと思うと、せめて二等をチョイスしないといけない。
○.三等(スティアレッジ クラス)
一番安くて地味なクラス。移民や留学生など一番おカネが無い人が利用。
一番利用客が多く、船会社はここで稼いだ。
国内外における貴顕の利用が想定される一等の内装は、宮殿のように贅を尽くしたもので、食事などのサービスもそれに相応しいものだった。
『氷川丸』の内装もご多分に漏れず、当時一流の水準を誇った。
それもそのはずで、仏国マーク・シモン社が一等の主な内装を施した。
とはいえ、実際にフランスから職人たちがやって来たのではなく、関係する公室の図面を日本から送り、その図面に合うように内装のパネル等を製作したというもの。
あとは日本の造船所(横浜船渠)にてボルト締めしていくだけ。
フネほどの大きな鋼製構造になると、熱収縮の影響をうけて、どうしても取り付けの時に現場で微調整が必要になるが、そういうことも考慮されていたそう。流石である。
時は1920年代から30年代。
フランス発祥のアール・デコが正に全盛期で、彼女の内装もその流れに沿ったものだった。
「わざわざ海外のデザイナーに内装を依頼したのか?」
と思われる向きもあるかもしれないが、致し方ない。
浅間、龍田、秩父のデザインおよび製作を外国に注文したことに対して、国内の建築家やインテリア・デザイナー達から、我々も参加させろとの声が挙ったので、国内および英、独、仏、ベルギーなどと共に、同じ条件でデザインコンペをすることにした。
設計図、透視図、仕様書、見積書を期日までに提出したのは外国勢全部で国内勢は皆間に合わず、期日を2、3日延ばしてもようやく透視図だけとか見積書なしとか不備のままの結果となった。
出された数10点を検討した結果、残念ながら国内勢の案では船の実態に適合できず、氷川丸は仏国のマークシモン社に発注し、日枝丸は船渠会社自身で設計製作することにした。しかし未だ経験に乏しいので、英国ヒートンタブ社から似た仕様の船のデザイン透視図だけを買い取り、これを基としてデザインすることになった。
佐々木達三氏は1927年に横浜船渠に入社し、船内艤装(「室艤」とも言う)を担当し、『氷川丸』をはじめとする客船の内装を手がけた。
そんな彼のエッセイが上の本に掲載されている。
(戦前日本の豪華客船について調べるなら、この本は外せないのですが、如何せん高価です・・・)
当事者の回想だけをみても、『氷川丸』を設計した1920年代後半の時点では、日本の造船所において外国に通用する内装を設計・製作する能力がほぼ無かったことが窺える。
しかし・・・、
今でこそ日本は造船大国の一角を占めてこそいるが、残念ながら客船に限って言うと、未だに力不足。依然としてヨーロッパ勢に全く歯が立たない。
数年前に三菱重工が建造した『アイーダ・プリマ』級2隻は、結果的に三菱造船成立の遠因となったくらい。
(建造中から様々な怪情報・噂話が、業界内で飛び交っていた記憶が・・・)
そして今、三菱造船と同じ系列の日本郵船は、『飛鳥Ⅲ』をドイツのマイヤーヴェルフト社に発注している。
話が脱線(いつものことやけど😅)
もう日本で、世界に通用する豪華客船を建造することはないかもしれない。
船体というドンガラは造れるが、肝心の内装や客室・各種設備の配置などの設計・製造などのノウハウは、日本の造船業が決定的に苦手とするところ。
「イージス艦や潜水艦を建造できるから、客船も簡単に・・・」というわけには全くいかない。そもそも土俵が違いすぎる。
それに、客船にフェリーは、貨物船などと比べて、同じ大きさでも手間暇がとてもかかる(=コストがかかる⇒儲からない)。
「良いものを安く造れます😆」と謳い文句にするのは大切だが、本当にその通りにしてしまうと、商売にならないのが難しいところ。
造船所が希望し、かつ船主が納得する価格で良いフネを提供できなければならないし、
さらに言うと・・・、
品質が良いかどうかは、船主が決めることである。
そんな、(時に言いがかりをつけてくる)船主を上手く言いくるめるor言い負かすことも時には必要となる。
(そして時には、食事やゴルフなどにも連れて行く。公序良俗に反しない限りにおいて、どんな方法も使うのは自然だろう)
客船を商品ラインナップに揃えるためには、設計から引き渡しに至るまで数多くの失敗を乗り越えて、何隻もの実績を積み重ねていくことが必要だが、三菱においては、あまりにも損失が大きすぎた。
(大手だから・・・??、それは何とも言えない)
いささか、脱線が過ぎた。
豪華客船の本場といっても良い、北大西洋航路客船においては・・・、
王侯貴族や大富豪などが利用する一等の様々な公室(食堂・大広間など)の内装は、陸上の宮殿に範を取った、さながらベルサイユ宮殿のような豪華さを誇った。
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ヨーロッパやイギリスの造船所が、一等公室の内装を彩る豪華なインテリアを形づくる建築家や職人を大量に集めることができるのは、容易に想像がつく。
内装だけではない。
大広間や大階段といった躍動感ある空間の使い方は、とても東洋建築に真似できるものでは無い。
ヨーロッパの造船所が建造した客船の内装には、そんな西洋建築・インテリアの数百年の歴史が襞のように折り重なっている。
それでも・・・、
日本における近代建築の水準が著しく上昇していくのにつれて、多くの建築家が、和風建築とその内装のエッセンスを最新の近代建築に落とし込んでいくようになる。
そして・・・、
日本の客船が、独力で欧米の豪華客船に伍する洗練された内装で彩られるようになったのは、1930年代後半から1940年代前半。
しかし・・・、
あともう少し、間に合わなかった。
1942年12月8日を迎える。
また『氷川丸』に戻るンバ(´д`)
たしかに、現代のカーフェリーのような充実した設備や広さでは負けているが、内装の洗練度合いでいうと、彼女が圧倒している(個人的感想)。
先ほど「狭い」と呟いた特別室も、その内装は和風を基調とした典雅なもの。こんなに手間のかかった内装は、今どきのフェリーでは中々見られない。
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二等船客は良いんですね・・・😅
今のフェリーや客船は、豪華な設備で乗客を飽きさせない。
『氷川丸』を含む主な客船の設備は、たいてい決まっている。
一等では、喫煙室に大広間、読書室。そして大食堂。
より大きな客船になるとベランダや温室、プール・ギムナジウムなどを備えたりする。
いずれもゆったりとした革張りのソファや椅子などが並び、紳士淑女が社交を繰り広げる。
ゲームコーナーのように、機械の力を借りて時間をつぶすなんてことはない。あるいは、船室備え付けのテレビでBS番組を見てやり過ごすなんてこともない。
クルーズ客船であれば、充実した設備に加え、様々なショーをはじめとした各種エンターテイメントで乗客を始終飽きさせない。
一方、昔の客船は、今ほどにはエンターテイメントは充実していない。
船上で出会った初対面の、あるいは偶然乗り合わせた旧友と時間を忘れて互いの近況を語り合ったり、はたまた芸術論や政治経済などの話題で熱い議論を交わしたであろう光景が思い浮かぶ。
誰と言葉を交わさなくとも、デッキチェアに座り、ただ無になって、日の沈むまで水平線の向こうを見つめ続けるのもまた一興だろう。
そうして、乗客たちが自分たち自身で形に残らない充実した時間を彩っていったのだろう。
いま時分の季節になると、未だに独りでフラッと東京と横浜を徘徊したことを懐かしく思い出す。
子供の時から行ってみたかった『氷川丸』を一目見たときの静かな感動、大さん橋から望んだ”キングの塔”と”クイーンの塔”に昔の横浜の栄華に思いを馳せたことなど・・・。
また遠くへ旅に出たいという欲求が湧き出してきた。
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あの、『あぶない刑事』の舞台となった時のボロさ具合が良かったのだが・・・。
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彼女ももういない。今では一目見れて良かった。
元は関西汽船の瀬戸内航路の女王『くれない丸』。
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