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Mr.Andrew、小旅行に出る③。

 前回からの続きです。

 2月22日(土)03:45。
 まだまだ深夜だけど、仕掛けておいたアラームで目が覚める。

■ Mr.Andrew、極寒を耐えた先の静かな感動。


□ 深夜の船内徘徊。

 昨夜乗船したとき、たくさんの乗客で溢れかえっていた船内。
 今では完全に寝静まり返っている。
 少し船内を歩いてみることにしよう。
 私が利用している特等・一等の区画はA甲板にあり、エントランスなどの公室も同じ甲板にある。

部屋のドアを開けた真正面、廊下の壁にある謎の窪み
コンセントがあり、昔は何が置いてあったのだろう?

 特等・一等客室の区画は、二等とは完全に区切られている。
 区切られてはいるけど、特段豪華ではない。
 専用の浴室やトイレもあるけど、それだけ。
 ちなみに、2室のみの特等A(定員2名)だけに専用ユニットバスがある。
 おなじ特等でも、特等B(定員4名・5室)には、ユニットバスがない。

特等・一等区画の廊下
写真では明るく写っているが、実際はもっと薄暗い。

 エントランスホールに出てみる。
 休憩スペースで和風紳士(≒おっちゃん)が独り、スマホを眺めて佇んでいる。
 さすがに公海時間7時間は、熟睡するには中途半端な時間。

畳敷きの休憩スペース
乗船した時は、ここのテーブルが先客たちで完全に埋め尽くされていた。
休憩スペースの壁に飾られていた『くるしま』の絵
手前に大きく描かれているのが、旧・関西汽船時代の塗装。

 『フェリーくるしま』は1987年、当時の関西汽船発注で建造されて、これまで38年もの長い間運航されていた。
 その間、関西汽船からフェリーさんふらわあ、そして現在の松山・小倉フェリーへと運航主体が移り変わっている。

こちらも同じく、出港前に先客で埋め尽くされていた休憩スペース
一般配置図を見ると、かつてはゲームコーナーだった。
床の真ん中にある、金色のコンセントがその痕跡を物語る。

 旧・ゲームコーナーの横は喫煙スペースとなっている。
 こちらもどうやら、かつては別の用途に供されていたようだ。

喫煙スペース
右端の電子レンジコーナーがカウンターで、塞がれた跡が見える。

 船内の壁に掲げられた一般配置図によると・・・、
 塞がれた開口部の向こう側はパントリー。
 この一角はもともと、軽食を提供するコーナーだったことが推測できる。

 就航して長い間は、それなりに利用客もいて、ゲーセンや夜食の利用も相応にあったのだろう。
 長い年月を経ていくにつれて、乗客の姿が少なくなり、少しずつサービスも簡素化していき、2隻で運航していたのが1隻となり隔日運航となる。
 そして・・・、
 最終的には、下の写真にある張り紙を掲示することになる。

エントランスの壁に無造作に貼り出されている、航路終了の案内(右)。

 Wikipediaによると、2019年に大規模な改装が施され、その際に軽食を提供するコーナーとゲームコーナーが廃されたという。
 また、これまで定員6名だった一等客室を2名客室に分割するなど、時代に即した改装も為されている。

 2017年の『フェリーくるしま』の乗船記を発見した。
 この時はいま以上に、船内が華やかな印象でサービスも充実している。

深夜のエントランス
売店と案内所は閉じられている。

 船の前方から特等・一等区画、エントランス、そして次に続くのが二等区画である。

二等の廊下(左舷側)
二等も、8人部屋と大部屋に分かれている。
二等の廊下(右舷側)
くぼんだ壁に配置された長椅子が、シブい味を醸し出している。
出港後しばらくこの椅子も、何人かのお客さんで占領されていたな😆

 階段を上がると、N-甲板となる。
 このデッキには、二等の大部屋とブリッジや乗組員区画がある。
 (さすがに内部の写真は撮っていません・・・)
 ここで、外部デッキに出てみることにしよう。

ちょっと待って。神々しい・・・。

□ 関門海峡通過

 個人的予想で「午前4時過ぎに関門海峡を通過するだろう」と思い、3時50分前にデッキに出てみた。
 ・・・寒い(。・ω・。)
 けれど、夜空がどうしようもないほどに美しい。
 後ろに長く伸びる航跡が月明かりに照らされている。
 これは、船に乗らないと味わえない絶景である。

3時49分
苅田町や北九州空港の沖合をかすめつつも、関門橋はまだ先。
赤や緑などの三角印は、他のフネ。

 夜中であっても、海上に休みはない。
 数多くの内航船が休みなく往来している。

『くるしま』とすれ違う内航船群

 寒さに耐えること、約20分。
 ようやく待ち望んでいたものが、遠くにその姿を現し始めた。

ついに姿を見せた関門橋
橋上を駆け行くクルマの明かりが見える。

 幼い頃から、父が運転するクルマで数えきれないほど往来した関門橋。
 その橋をいま、汽船で潜り抜けようとしているのである。

いよいよ関門橋の下をくぐって行く。
橋の向こうは門司港レトロ地区。

 関門橋の下をくぐるのは、ほんの数分程度。
 数多あまたも関門橋を渡ってきたが、その下をくぐったのは初めて。
 恐らく、今後そんな経験をすることはないだろう。

あっという間に関門橋から遠ざかっていく。

 進行方向の右舷側には、下関市街地が望める。

唐戸市場や赤間神宮
市場はもう目覚めているだろう。
三菱造船下関造船所
夜明け前なのに、操業しているのだろうか・・・。

 同じく進行方向左舷側には門司港レトロ地区が望見できる。
 そうか・・・、
 関門橋を抜ければ、それは到着時間がもう少しであることを意味する。
 名残惜しいが、船内に戻ることにしよう。

もう、小倉港はすぐ。
一時間近くデッキ上にいたから、手が悴んでいる・・・。

□ 小倉港到着

 午前5時。
 『フェリーくるしま』は、小倉港に到着した。
 下船できるまで、エントランスでしばし待機する。
 こんな朝早い時間なのに船内は、多くの人いきれで熱く、心地良い気分だ。
 やがて、下船可能の案内がなされる。
 あの『蒲田行進曲』に出てきそうな階段を下りると、そこは北九州・小倉の地である。

地上に降り立ってすぐに撮影
まだまだ現役で頑張れそうなんだけどな・・・。

 地上に降り立った乗客たちは、真っ暗な小倉市街地に三々五々、足早に散らばって行く。
 一方で、出迎えの家族に出迎えられた方も数名おられた。
 なんか、あったかい気持ちになるな。

旅客待合所と『くるしま』嬢
闇夜の中で、ここだけ人の温もりが感じられる。
船腹に大書された“ISHIZAKI”の文字
松山・小倉フェリーは石崎汽船㈱のグループ会社。

 少し脇にそれて、『フェリーくるしま』の姿を収める。

”不夜城”にしては、カワイイ大きさ😌
この看板を見られるのも、あともう少し。

 心地良い余韻に浸るのは、もう良いだろう。
 ワタクシ行堂も、前に向かって歩を進めようか。

 次稿に続きます。

□ オマケ

 6月いっぱいで廃止されてしまうが、「需要が少ない」というからには不便なのか?
 むしろ逆で、時間帯によっては四国から最短時間で九州にたどり着ける交通手段。
 なにしろ、北九州中心部・小倉へ5:00に到着というのは、新幹線の始発よりも早い。
 ただ、松山から小倉というのは、様々な交通網の中でも割合にニッチ的存在なのだろう。

 これが、フェリーではなくRORO船であれば、まだ存続の余地があったかもしれないが、それだと、私たちのような一般ピーが深夜の関門海峡を渡るロマンを味わえないのが辛い・・・。

 「もっと早く、若い時に乗っていれば、もっと乗る機会があったのに」と、後悔する航海だった。
 (最後になんか、台無しな一文やな😒)

 旅行に限らず、若いうちにしかできない、あるいはその時にしか感じられないことがたくさんある。
 興味あることがあれば、多少無理してでも、手をつけてみた方が良いなと改めて思います。

こういう事って、歳を重ねてようやく、心にストンと腑に落ちるんですよね😐
御船印を手に入れられるのも、残りわずか4ヶ月!!
『くるしま』嬢の後をついてくる内航船
あと4ヶ月・・・、もう一回乗ろうかな😐


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行堂嶐 『あんどうりゅう』
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