弁天埠頭の、ちょっとした思い出
先日綴った『氷川丸』の記事の最後に『ロイヤルウイング』の写真を載せた。
この船は元々、関西汽船が阪神・別府航路用に建造した高速豪華客船『くれない丸』だった。
といっても・・・、
ここではこの船ではなく、この『くれない丸』時代の起点だった大阪・弁天埠頭について、少し呟いてみたい。
上の写真は、私が学生の時に撮影したもの。
1965年から1980年11月に別府航路から退くまで、ここを起点に、別府までの航路に就いていた。
もちろん、上の写真を撮影したのは2000年代初めなので、既に客船の発着はしておらず、中外共にボロボロだった。
ちょうど昭和の、レトロ感あるオフィスビルが流行り始めた頃合いだったか、お洒落な感じのセレクトショップやスタジオなどが入居していた記憶がある。
社会人になって大分経ってから(かれこれ、6~7年前にはなろうか・・・)、再び弁天埠頭を訪れると、関西汽船ビルは解体されていた。
場所も場所なので、大型フェリーの離発着は難しいだろう。
弁天町駅まで歩いて行ける距離なので、交通の便も悪くないのだが。
余談だが、この日本初のアーチ型水門である『安治川水門』も老朽化のため建て替えられる。
その事業の進捗次第では、先の弁天埠頭一体も再開発が行われるかもしれない。
アイデアコンペの最優秀賞を受賞した案では、このアーチを弁天埠頭に移設保存する提案が為されている。
もっとも・・・、
これほど巨大なアーチを移設するのは技術的にはもちろん可能。
しかし、その想定コストがとんでもない上、仮に実現したとしてもその後の維持管理の費用を考えると、やはり現実的に難しい気がする。
でも、このアイデア通りに蘇った弁天埠頭にもう一度訪れてみたいと思うのは私だけではないと思います。
ちなみに、解体されたビルと同じく、関西汽船も既にない。
しかし・・・、
ビルと同じく跡形まで無くなったのではなく、長い変遷の末、昨年2023年に”㈱商船三井さんふらわあ”となって現在にその系譜を伝えている。
そして『くれない丸』も、同じく昨年就航した『さんふらわあ くれない』にその伝統を受け継いでいる。